新約聖書

モーセとイエス

徒言行録 7章17~43節 牧師 常廣澄子           お読みいただいた個所は、ステファノが語った長い説教の中の一部分です。前回は16節までを読んで、栄光の神についてお話ししました。アブラハムを導かれた神は、妬みによって奴隷として売られたヨセフの人生にも伴われ、遂にヨセフはエジプトの大臣となって、父ヤコブや兄弟たち、親族一同をエジプトに呼び寄せることになったわけです。そして17節にありますように、その後、イスラエルの民はどんどん増えて大きな民となり、エジプト中に広がっていきました。

狭い戸口から

ルカによる福音書 13章22~30節 牧師 永田邦夫  本日もルカによる福音書からのメッセージをご一緒にお聞きして参りましょう。 主イエスは、天に上げられる時期が近づいたとき、エルサレム行きを決意されてから(ルカによる福音書9章51節)、その目的地であるエルサレムに上って行かれる(19章28節)まで、その道中では、弟子たちに対しては勿論のこと、イエスの元に集まって来た多くの人々に対しても、数々の教えを告げ知らせながらの旅でした。

神の怒りと裁き

ヨハネの黙示録 15章1~8節 牧師 常廣澄子        グローバル世界に生かされている私たちは、日々、新聞やテレビやインターネット等の情報で、考えられないような事件や出来事を目や耳にするようになりました。世界では今のこの時も戦争が続けられ、各地で悲惨な恐ろしい出来事が起こり、何の罪もない多くの人たちが殺されています。人間世界に起こっているこの戦争というおぞましい出来事はいつまでたっても収束に至りません。残念なことに、世界の平和のために設立された国際連合は、当事国の反対や拒否権によって現状では正常に機能していません。こういう状況を見捨てておけないと、多くの国々が立ち上がり、多くの人たちが反対を叫んでいますが、どうにもならない状況に陥っています。ニュースを見る度に、ただただ無力感を感じてしまうことが多々あります。

栄光の神の導き

使徒言行録 7章1~16節 牧師 常廣澄子           おお読みいただいた個所は、新共同訳聖書では、その段落のタイトルが「ステファノの説教」となっています。2節から53節まで、ステファノが語った実に長大な説教が書かれているのです。これは、すぐ前の6章11節~14節に「そこで、彼らは人々を唆して、『わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。『この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」と書かれているように、ステファノは、エルサレム神殿とそれにまつわる儀式や律法に逆らって神とモーセを冒涜したと偽証されて捕らえられてしまったのですが、連れて行かれた最高法院で、大祭司や居並ぶ律法学者たちを前にして、堂々と弁明したのがこの演説なのです。使徒言行録には、この他にもペトロが語った説教や、パウロが語った演説がありますが、その中でもここで語られたステファノの説教が一番長いものです。

一人ひとりに与えられた

使徒言行録 2章1~13節 牧師 常廣澄子           本日はペンテコステ(聖霊降臨)の感謝礼拝です。お読みいただいたところには、イエスが天にお帰りになる前、弟子たちに約束されていた聖霊が降って来た様子が生き生きと書かれています。それまで恐れと不安の中で隠れていた信徒たちは、この出来事の後、聖霊に満たされて見違えるように大胆に主の福音を語り始めました。そしてそこに、教会という神を礼拝する民、福音を伝道する共同体ができていったのです。それで、ペンテコステ(聖霊降臨)が教会の誕生日だと言われるようになりました。

解放の時

ルカによる福音書 13章10~17節 牧師 永田邦夫     本日もルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。 本日箇所は標記の通り、13章10節から「安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。」と始まっています。

刈り入れの時が来た

ヨハネの黙示録 14章14~20節 牧師 常廣澄子      先ほど、新生讃美歌601番を賛美しました。「やがて天にて、喜び楽しまん、君にまみえて勝ち歌を歌わん」と。この賛美には、主に結ばれて死ぬ者の幸いが歌われています。前回説教した御言葉から、ヨハネの黙示録14章13節をお読みします。[またわたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ者は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」]

霊と知恵に満ちた人

使徒言行録 6章1~15節 牧師 常廣澄子           本日は、昨年秋から始められた教会の補修工事が無事に完了したことを感謝しての礼拝です。今、約半年間にわたる一連の工事の経過をお話しいただきましたが、教会のいろいろな業はすべて、神の御手の中にあることを思わされています。私たちの教会堂が立っている土地は高い擁壁で支えられていますが、この擁壁は建設されてから長い年月が経って劣化が目立ってきたので、ずっと心配していろいろと対応を話し合ってきました。しかしこのことを相談できるところがなかなか見つからなかったのです。ところが昨年の初め頃、不思議な導きで擁壁専門の会社との出会いがあり、私たちが当初考えていた以上にしっかりときれいに補修・補強工事を行うことができました。擁壁だけでなく教育館跡地の整地も含め、見違えるようにきれいになりました。これは私たちの祈りを聞かれた主が助け導いてくださったのだと心から感謝しています。続いてテラス側の柱の補強がなされ、屋根や外壁の補修と塗装が終わり、このようにきれいな教会堂になりました。教会堂の内部はそのままですが、私たち一人ひとりがその内部をつくっていることをしっかり覚えて、主の愛と御霊に満ちた教会でありたいと願っております。教会は主なる神のおからだであります。

実りを待つ主人

ルカによる福音書 13章1~9節 牧師 永田邦夫        本日もルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。13章1節は「ちょうどそのとき、何人かの人が来て」との書き出しで始まっていますが、この表記は、前の段落とも関連した出来事がまた起ころうとしている、ということですので、先にそれを確認していきましょう。 前回(三月)の説教は、12章48節まででして、わたしたちが「再臨の主を待ち望む姿勢」に関する内容の説教でした。その後、本日箇所までの聖書個所について、その内容を見ていきますと、その「再臨の主を待つ期間に、人々が気を付けなければならない注意事項」が記されていることが分かります。

天にある永遠の住まい

コリントの信徒への手紙 二 5章1~10節 牧師 常廣澄子   今朝は、ご一緒に主にある生活を共にした方々やそのご家族など、先に天の家にお帰りになった方々を偲んで記念の礼拝をおささげしています。今お名前を読み上げていただきましたが、まだそこにおられるのではないかと思ってしまうような方々もおられます。日頃親しくお話ししたりお交わりして来た方々のことは、在りし日のお姿が目に浮かび、いつまでも心に残っています。 今、天に帰られたと申し上げましたが、まだこの地上にいる私たちには、それがどこにあるのか、この世から姿を消された方々は今どこにおられるのか、何もわかりません。けれども先日もお話ししましたが、主にあって死ぬ者は本当に幸いな者です。主イエスのおられる天に迎えられているからです。まずそのことを感謝したいと思います。