ヨハネの黙示録 12章7~18節 牧師 常廣澄子 今までに繰り返し語ってきましたが、「ヨハネの黙示録」が書かれた時代は、キリスト者が迫害され、皇帝礼拝や偶像礼拝が強要されるような大変厳しい時代でした。その苦しさと生きづらさのゆえに、キリストへの信仰を持って生きるということを断念する者もあったようです。また周囲からキリスト信仰を捨てるように強いられたりもしました。そういう時代ですから、普通に読んでもわからないような表現を用いて書かれ、ただ聖霊によってわからせていただいたのです
ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録
天の戦い
ヨハネの黙示録
大きなしるしが現れた
ヨハネの黙示録 12章1~6節 牧師 常廣澄子 聖書の中でも、ヨハネの黙示録は読んでいて、大変わかりにくくて理解しにくいところがたくさんある文書です。それは当時、キリスト教会が始まったばかりの頃はいろいろな迫害がありましたので、普通に書いたのではすぐにわかってしまいますから、わざと読んでもわからないように書かれているからです。けれども、著者ヨハネが神の霊に導かれて、天に引き上げられて見たその映像は、まるでコンピューターグラフィックで描かれたように精密な情景だったようで、それを伝えているヨハネの文章はまるで現実にそこにいるかのように生々しいものがあります。
ヨハネの黙示録
天の神殿が開かれた
ヨハネの黙示録 11章15~19節 牧師 常廣澄子 8月に入りました。8月は平和を思う月です。それは78年前の8月6日と8月9日に、恐ろしい原子爆弾が広島と長崎に投下され、一瞬のうちに数えきれない多くの人の命が奪われ、数えきれない多くの人が悲しみと苦しみを背負って生きていかねばならなくなったという事実があり、戦争の悲惨さや愚かさを思うからです。私達は二度と同じ間違いをしてはならないと慰霊碑の前で平和を誓っています。しかし、世界では今も各地で争いが続いています。昨年2月に勃発したロシアとウクライナの戦争は、一年半を経過した今も終わりが見えない状況です。遠く離れた日本に暮らしている私達にとっても本当に心痛む日々であり、そのニュースは今も連日世界中をかけめぐり、一日も早い終息を願う祈りに満ちています。
ヨハネの黙示録
神の力によって
ヨハネの黙示録 11章1~14節 牧師 常廣澄子 ヨハネの黙示録はよく解らないところがたくさんあって大変難しいものです。しかし、ある意味でこの黙示録は神の啓示の書ともいえるのです。私たちには覆いがかけられていて見えなくなっていることがたくさんありますが、その覆いを取り払って見えるようにしてくれる書物だともいえるということです。ヨハネに示された幻を通して、神はそれを私たちに告げています。 さてここまでのところでは、著者ヨハネは自分が見たことを、つまり天上の礼拝の様子や、ラッパを吹く度に繰り広げられる様々な出来事を語ってきました。しかし、この11章からはただ見ているだけでなく、ヨハネ自身が何らかの役割を担うことを命じられています。彼自身の行為が求められているのです。「(1節)それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。『立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。』」
ヨハネの黙示録
巻物を取って食べよ
ヨハネの黙示録 10章1~11節 牧師 常廣澄子 ヨハネの黙示録を読み進めてきて、本日は10章に来ました。著者ヨハネは霊に満たされて天の幻を見ています。地上にいる私たちも霊の目を天に向け、天上の礼拝の様子や、霊が伝えることを自分の心のスクリーンに描いていきたいと思います。
ヨハネの黙示録
火と煙と硫黄
ヨハネの黙示録 9章12~21節 牧師 常廣澄子 このヨハネの黙示録に書かれている幻は理解できないことばかりで、非現実的な事柄としか思えないと言われる方がおられます。確かにここに書かれていることは不思議なことばかりです。しかしここに示されている幻から発するイメージは、現実に今世界で起きている状況を連想するほどに生々しく迫ってきます。今日の世界は非常に危機的な状況にあり、不安や恐怖に満ちていることを考えても、ヨハネが霊の導きによって見たこれらの幻をしっかり霊の目で見ようとすること、静まって霊の耳を傾けてみ言葉から聞くことは、今を生きる私たちにとって大変大事なことではないでしょうか。
ヨハネの黙示録
底なしの淵
ヨハネの黙示録 9章1~11節 牧師 常廣澄子 私たちは今、ヨハネの黙示録を通して、著者ヨハネの霊の目に映し出された天上の礼拝の様子を見ています。天の御座の中央に立たれるお方は、豪華な王者の衣をまとうお方ではなく、ほふられた小羊の姿です。それは虐げられ、苦しめられ、傷つけられたお姿でした。この方こそ、神の小羊としてご自分のお身体を捧げられたイエス・キリストに他なりません。このお方は天上にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが口をそろえて「王の王、主の主」として崇められるお方です。そしてこのお方が七つの封印で封じられた巻物を手に取り、その封印を一つひとつ開けていったのです。封印を解いていくことがおできになるのはこの方以外にいないのです。第七の封印を開いた時、神の御前に立っている七人の天使に七つのラッパが与えられ、次々と吹き鳴らされていきましたが、天使がラッパを吹き鳴らす度に、そこには恐るべき審きの光景が映し出されていきました。神の審きというのは、神を神として認めようとしない者に加えられるのです。
ヨハネの黙示録
天使のラッパが鳴る
ヨハネの黙示録 8章6~13節 牧師 常廣澄子 最近、AI(人口知能)が論文を書いたり、人間の病気を診断したり、医学的な処方を教えてくれたりするということを知り、人間の技術開発はいったいどこまで進歩するのだろうと驚いています。しかしそのようなことは、目まぐるしく進化する人間世界の一端かもしれません。今私たちが生きている世界は、科学技術の目覚ましい発達によって、かつてないほど豊かになり、様々な便利なものに溢れ、季節を問わずいつでも快適に過ごせる時代になっています。しかし一方で、今までは考えられなかったような凶悪な犯罪が横行し、次々と複雑な事件や思いもしない事故が起こっています。ロシアとウクライナの戦争は長期戦となりつつあり、世界の国々は一触即発の緊張状況にあり、いつ破滅的な事件が起きてもおかしくないほどの危うさに満ちています。今の時代は本当に先の見通せない危険な状況にあるように思えます。皆さまは今の世界をどう見ているでしょうか。
ヨハネの黙示録
聖なる者の祈り
ヨハネの黙示録 8章1~5節 牧師 常廣澄子 「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネは、今、御霊に感じて、霊の目に映し出されているものを見ています。そして天上の礼拝の様子を私たちに教えてくれています。その祝福に満ちた礼拝の様子は、地上で神への信仰の故に苦しんでいる者たちにとっては大きな慰めであり、忍耐や希望を与えるものでした。
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神のものとされた者
ヨハネの黙示録 7章9~17節 牧師 常廣澄子 新しい年が明けてから、早くも二週間が過ぎてしまいました。元旦には、私たちはここで新年礼拝を捧げましたが、コロナ禍とはいえ、お正月三が日には老若男女多くの人たちが神社仏閣にお参りされたようです。今世の中には問題が山積みですから、神様にお願いすることばかりです。新型コロナウイルスの感染者は、減るどころか、今年に入ってますます増加していて、亡くなる方も増えていますし、ロシアとウクライナの戦争も終わる気配がないまま年を越してしまいました。日常生活においては、物価が高騰していて生きていくのに四苦八苦している方々や、コロナ禍の影響もあって、孤立する方々が増えています。私たちの世界はこれからどうなっていくのでしょうか、不安や心配が後を絶ちません。