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自由にされた者

コリントの信徒への手紙 一 9章1~18節 牧師 常廣澄子   主イエスを信じる人は、自分を愛して受け止めていてくださるお方を知っていて、いつもその守りと導きを信じていますから本当に自由に生きることができます。現に主にあってのびのびと自由に生きておられるたくさんの素晴らしい方々を私は知っています。本日は9章を読んでいきますが、8章では偶像に供えられた肉についてパウロの自由な態度を見てきました。何を食べようと何も問題はないけれども、もし弱い人たちをつまずかせるようなことがあるのであれば、自分は喜んで肉を食べないと宣言したのです。この手紙を書いているパウロは、コリント教会が置かれている厳しく難しい問題を前にしているわけですがとても自由に語っています。自分でもそう言っています。「(1節)わたしは自由な者ではないか。」パウロのこの自由な思いや行動はどこから来るのでしょうか。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネによる福音書3章8節)の御言葉を思い起こします。パウロの自由というのは、このような主の御霊がなせる業なのだと思います。

神のものとされた者

ヨハネの黙示録 7章9~17節 牧師 常廣澄子        新しい年が明けてから、早くも二週間が過ぎてしまいました。元旦には、私たちはここで新年礼拝を捧げましたが、コロナ禍とはいえ、お正月三が日には老若男女多くの人たちが神社仏閣にお参りされたようです。今世の中には問題が山積みですから、神様にお願いすることばかりです。新型コロナウイルスの感染者は、減るどころか、今年に入ってますます増加していて、亡くなる方も増えていますし、ロシアとウクライナの戦争も終わる気配がないまま年を越してしまいました。日常生活においては、物価が高騰していて生きていくのに四苦八苦している方々や、コロナ禍の影響もあって、孤立する方々が増えています。私たちの世界はこれからどうなっていくのでしょうか、不安や心配が後を絶ちません。

変貌のイエス

ルカによる福音書 9章28~36節 牧師 永田邦夫      新しい年、2023年が明けて、本日は第二週の主日礼拝となりました。どうか今年も主の御心に聞きながら、皆さまと共に歩み、そして、聖書が示すメッセージを皆さまにお届けしていきたいと願っております。本日は「変貌のイエス」と題し、ルカによる福音書からのメッセージです。

光の中の相続

コロサイの信徒への手紙 1章9~14節 牧師 常廣澄子    皆さま、新年明けましておめでとうございます。 つい一週間前に、私たちはクリスマス・イブ礼拝、そしてクリスマス礼拝をお捧げして、主イエス・キリストの御降誕をお祝いいたしました。その恵みと喜びがまだ心に満ちている中で、2023年が幕を開けました。誰もが、どうか今年こそ平和な佳い年になって欲しいと祈り願いつつ、新しい年を迎えたことと思います。その祈りに主が応えてくださいますようにと心から願っております。

光は世に来た

ヨハネによる福音書 1章6~18節   牧師 常廣澄子         皆さま、クリスマスおめでとうございます! 子ども讃美歌にもありますが、クリスマスは「うれしい、たのしい、クリスマス」です。 ではクリスマスがおめでたいのはなぜなのでしょうか。 私たちは何をお祝いし、何を喜び、何を感謝するのでしょうか。

命に満ちた言(ことば)

ヨハネによる福音書 1章1~5節 牧師 常廣澄子        皆さま、こんばんは。 ようこそ、志村バプテスト教会のクリスマス・イブ礼拝においでくださいました。 今日初めて教会においでくださった方がおられましたら、心から歓迎いたします。 あなたをお誘いくださったのは、お友達かもしれませんしご家族かもしれませんが、今夜、あなたがここにおいでくださったのは、あなたを愛しておられる主なる神様のお導きです。

知識と愛

コリントの信徒への手紙一 8章1~13節 牧師 常廣澄子   この個所は、パウロがコリント教会から届けられた質問状に答える形で語っています。まず7章では結婚と独身をめぐる問題について語られていました。それに続いてこの8章では、偶像に供えられた肉を食べてよいかどうかという問題について語っています。これは単に食べるか食べないかということだけではなく、偶像に対してはどのように対応するかという信仰の問題であり、偶像に囲まれて暮らしている私たち日本人キリスト者にとっては実に身近で大切な問題だと思います。この個所は

イエス、死と復活を予告

ルカによる福音書 9章21節~27節 牧師 永田邦夫     本日は、待降節の第三週の主日礼拝です。また、クリスマス礼拝も二週間後に近づいています。そのことにも思いを馳せながら、この時期を過ごしていきたいと願っています。

大いなる日が来る

ヨハネの黙示録 6章1~17節 牧師 常廣澄子       ヨハネの黙示録は、著者ヨハネを通して示された幻が書かれています。この幻は神から与えられた啓示ともいうことができます。しかしこの幻は大変奇妙で不思議な幻ですので、書かれたものを読んだだけではなかなか理解できません。いや、見方を変えれば、理解できないように書かれていると言った方が良いかもしれません。

アブラハムの信仰

ローマの信徒への手紙4章13~25節 牧師 常廣澄子 本日はローマの信徒への手紙の4章から信仰について考えていきたいと思います。今、私たちは見える世界の中にいますが、信仰というのは目に見えない世界のことです。1節に「肉によるわたしたちの先祖アブラハム」という言葉がありますが、私たち人間は身体という肉体を持っていますから、肉に従って生きています。つまり生から死へという生き方です。しかし、信仰の世界、見えない世界に目を向けた時、そこには霊による生き方、死から生へというよみがえりの人生に生きる生き方があるのです。私という人間を、神から支えられている者、神と関わる霊的な人格として認識するということです。