ペトロの手紙二

人生の堅固な足場

まずこの手紙が二度目の手紙であることを示してから、この手紙を書いた目的を語っています。それは「(1節)あなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいから」「(2節)また聖なる預言者たちがかつて語った言葉(旧約聖書全体)と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟(イエスの福音)を思い出してもらうため」だと言います。あなた方が信仰に入った時の純真な心を思い出し、教えられていたことをもう一度思い起こして主の再臨を待ち望む生活をしてほしいということです。

真理の道に留まる

今は、新型コロナウイルスまん延ということで、社会も人間関係も大変不安定な状態にあります。このような時こそ私たちは、いろいろな考えに惑わされることなく、神が私たち人間に求めておられることをしっかりと心に留めて生きていくことが大切ではないでしょうか。人々が集まって共に主なる神を礼拝することができなくなり、お互いの信仰を分かち合ったり励まし合ったりする機会が少なくなってくると、人間の心は寄りどころを失って不安定になってきます。そのような時に、もし優しい言葉をかけて近づいてくる人がいたら、その人に気を許してしまい、その人が言うことを信じてしまうかもしれません。それがたとえイエスの福音とかけ離れていたとしても、弱くなっている心ではそれに気づけずに、イエスの道から外れてしまうことが起きるかもしれません。ペトロの時代には、実際にそのようなことが起こっていたのです。

キリストの栄光

人が悲惨で苦しく耐えられない状況に遭遇した時にはきっと、だれか早くこの状況を見て助けに来てほしいと心から願うと思います。神を信じる私たちは、戦争や争いや醜い欲にまみれたこの世がはやく終わって、神の国、神の平和が来ますようにと、日々「みくにを来たらせたまえ」と、願り願っています。それはイエス・キリストが再びこの世に来られて、地上に神の国を実現してくださると約束されているからです。

神のすばらしい約束

本日からペトロの手紙二を読んでいきたいと思います。ペトロの手紙一と二は、同じようにペトロの手紙という名前がついていますが、文体や使われている用語が大変異なっていますので、はたして同じペトロが書いたのだろうかと疑問となっています。ペトロの手紙一は、古典的な大変美しいギリシア語で書かれていて、これはギリシア語に堪能であったシルワノが代筆したことが、ペトロの手紙一5章12節にはっきり書かれています。しかしこのペトロの手紙二の文体は大変難しい上に技巧的なところがあるので、シルワノではなく、筆記者としてペトロが誰か他の人を用いたのかもしれません。誰が書いたかはともかくとして、殉教の死を間近にしたペトロが、ローマの獄中で記したものと考えることもできると思います。ペトロは紀元66年のネロ帝の迫害の時に殉教したと伝えられているのです。