本日からしばらく、七つの教会に宛てた手紙を読んでいきたいと思います。これらはヨハネがキリストから託された手紙で、どの手紙にもその冒頭に「…の教会の天使にこう書き送れ」というように呼び掛けられています。それを語っておられるのは1節にありますように「右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方」キリストです。
ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録
初めの愛
ヨハネの黙示録
生と死を支配される方
ドミティアヌスが皇帝崇拝を強要し、キリストを信じる者たちはいろいろな面で迫害を受けました。敢然とそれに立ち向かった者たちは当然処罰されたり、殉教したりしたのです。そういう厳しい状況の中で、ヨハネは、「(9節)わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。」と自己紹介しています。まず、自分は、アジアの諸教会にいる主を信じる者たちの仲間であり兄弟であることを言い表し、苦しみの中で忍耐しているのはわたしもあなた方と同じですと言っているのです。「その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである」というところは、「私ヨハネは、主を信じるがゆえに今苦難を受けています。しかしそれは主イエスのお苦しみの一端に与かっていることであり、私は神のご支配の中にいます。私はイエスによって備えられた神の国の民としていただいたことを喜び、その希望によって今ここで忍耐をもって過ごしているのです。」ということではないでしょうか。
ヨハネの黙示録
時を支配される方
お読みいただいた「ヨハネの黙示録」の「黙示」というのは、先日もお話ししましたように、「啓示」とも訳すことができる言葉です。隠されているものの覆いが取り除かれて現れるという意味です。これはイエス・キリストについて解き明かしているのです。そして「(1節)この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったもの」であり、それを、「(2節)ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。」ものです。
ヨハネの黙示録
死に至るまで
黙示録といいますと、何か終末の恐ろしい有様が書かれたものを想像するかもしれませんが、1章1節には「イエス・キリストの黙示」と書いてあります。黙示というのは「啓示」とも訳され、隠されているものの覆いが取り除かれて現わにされることです。黙示録に書かれていることは、「(1:1)キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」「(1:2)ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。」とあるように、イエス・キリストについて解き明かしている書物なのです。