コリントの信徒への手紙 二 5章1~10節 牧師 常廣澄子 今朝は、ご一緒に主にある生活を共にした方々やそのご家族など、先に天の家にお帰りになった方々を偲んで記念の礼拝をおささげしています。今お名前を読み上げていただきましたが、まだそこにおられるのではないかと思ってしまうような方々もおられます。日頃親しくお話ししたりお交わりして来た方々のことは、在りし日のお姿が目に浮かび、いつまでも心に残っています。 今、天に帰られたと申し上げましたが、まだこの地上にいる私たちには、それがどこにあるのか、この世から姿を消された方々は今どこにおられるのか、何もわかりません。けれども先日もお話ししましたが、主にあって死ぬ者は本当に幸いな者です。主イエスのおられる天に迎えられているからです。まずそのことを感謝したいと思います。
コリントの信徒への手紙二
コリントの信徒への手紙二
天にある永遠の住まい
コリントの信徒への手紙二
苦難の中の慰め
今朝お読みした個所は、新共同訳聖書では「苦難と感謝」というタイトルになっていますが、ここには「苦難」と「慰め」という言葉が何度も出てきます。コリントの信徒への手紙はパウロによって書かれた手紙ですので、背景にはパウロが体験した様々な出来事があり、その体験を通して得たキリストへの信仰の恵みが語られているのです。
コリントの信徒への手紙二
主と共なる生と死
パウロは「(8〜9節)わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」というように、イエス・キリストを信じて生きる者は、たとえ途方に暮れるような、八方塞がりの事態が起きても絶望しなくて良いのだ、主の助けがあって必ず出口があるのだ、苦難があっても決して見捨てられた訳ではない、打ち倒されたように思えても起き上がれないほどに決定的なことではないのだ、キリストにつながってさえいれば、必ず再び立ち上がって歩みだすことができるのだと語りかけているのです。
コリントの信徒への手紙二
新しいものが生じた
私たち、主を信じる者は皆、主の霊によって新たに生まれた者です。主なる神は信じる者一人ひとりの人生を豊かに祝福し、日々新しい命を与えて、助け導いていてくださいます。「(17節)キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」とあるとおりです。ここで「キリストと結ばれる人」とありますが、主なる神を信じる者は、神との交わりを回復された者、神と結ばれた者なのです。