エフェソの信徒への手紙

詩と賛美と霊歌によって

エフェソの信徒への手紙 5章15~20節 牧師 常廣澄子   本日は賛美礼拝ということで、ハンドベルの皆さまによる讃美歌の演奏、また三人の方々には賛美とお話をしていただきました。皆さま、本当にありがとうございました。今私達は本当に豊かな時間を過ごしています。神を賛美する時、賛美する者も聞く者も、共にその心が神に近づけられ、神の高みに引き上げられていくからです。本日の招詞(詩編66編1-4節)では「神に向かって歌え」と呼びかけられました。また詩編33編1節には「主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。」とあります。これは、「時々は主を賛美しなさい」というのではなく、「賛美こそ信仰者の生活の中心になるべきものである」ということなのです。

エフェソの信徒への手紙

心の目を開けて

今朝はエフェソの信徒への手紙1章にある「パウロの祈り」の言葉を通して神に聞いていきたいと思います。パウロは、今朝の聖書箇所の前の部分で、神の恵みの豊かさや素晴らしさを讃え、真理の言葉、すなわち救いをもたらす福音を聞いて神を信じ、キリストに希望を置いて生きる者は神の栄光を讃えて生きるのだと、格調高い賛美の言葉を語っています。そしてその後で今朝の御言葉の祈りの言葉が続くのです。パウロは神の力と御業を賛美しながら祈っているのです。

エフェソの信徒への手紙

平和の福音

1945年に日本がポツダム宣言を受諾して戦争が終わってから。今年で75年が過ぎました。考えてみますと、20世紀という時代は、人間の歴史の中でも最も知識や技術が進歩した素晴らしい時代であるにもかかわらず、1914年オーストリアに始まった第一次世界大戦、1939年にドイツのポーランド侵攻によって始まった第二次世界大戦と、世界各国の人間同士が敵味方に分かれて殺し合った恐ろしい殺戮の世紀でもありました。様々な利権をめぐって国々が争いを繰り返し、数えきれない多くの人々がその犠牲となったのです。日本バプテスト女性連合が沖縄での地上戦が終結した6月23日を「命どう宝の日」(命こそ大切な宝)として覚えるのも、二度と戦争をしないという非戦を誓い、平和を祈り願っているからです。しかし、世界の各地では今なお国と国、民族と民族が争いを続けていますし、今も過去の戦争の後遺症を引きずって苦しんでおられる方がたくさんおられます。生きている人間誰もが平和な世の中を望んでいると思うのですが、どうして人間社会には争いが続くのでしょうか。