2021年04月

神のすばらしい約束

本日からペトロの手紙二を読んでいきたいと思います。ペトロの手紙一と二は、同じようにペトロの手紙という名前がついていますが、文体や使われている用語が大変異なっていますので、はたして同じペトロが書いたのだろうかと疑問となっています。ペトロの手紙一は、古典的な大変美しいギリシア語で書かれていて、これはギリシア語に堪能であったシルワノが代筆したことが、ペトロの手紙一5章12節にはっきり書かれています。しかしこのペトロの手紙二の文体は大変難しい上に技巧的なところがあるので、シルワノではなく、筆記者としてペトロが誰か他の人を用いたのかもしれません。誰が書いたかはともかくとして、殉教の死を間近にしたペトロが、ローマの獄中で記したものと考えることもできると思います。ペトロは紀元66年のネロ帝の迫害の時に殉教したと伝えられているのです。

生命の畏敬

人間社会における倫理規定の中でも、一番最初に書かれている教え「殺してはならない」という殺人の禁止についてご一緒に考えてみたいと思います。殺人の禁止というのは、つまり命を大事にすることです。今朝お読みいただいたみ言葉は、以前にも二回にわたって細かくお話しさせていただきましたので、覚えておられる方もあると思います。律法の完成者と言われるイエスが、神が人間に与えられた律法の本質を易しくお語りになっている箇所です。

教えと悪霊払い

ルカによる福音書からの福音のメッセージを、続けてご一緒に聞いております。現在は、イエスさまのガリラヤ伝道の初期に起こった出来事が中心となっておりまして、本日は、カファルナウムでの伝道からのメッセージです。  本日箇所冒頭、31節、32節には「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」とあります。この二節にわたる紹介の言葉は、イエスさまのカファルナウムに下ってからの伝道がすでに始まっていて、順調なスタートを見せている、そのような印象を受けます。  といいますのも、実はその前の場所、ご自分がお育ちになったナザレでの伝道は、実に辛い結果となってしまい、そのナザレを後にしての、カファルナウム行きだったのです。そこでの伝道が順調なスタートが切れたことは、ここを読むわたしたちにも、喜びと安堵感を届けてくれます。

キリストの復活

イースターの喜びを感謝いたします。イースターは、キリストが苦難と死を過ぎ越して復活されたことを記念してお祝いする喜びの日です。キリスト教の初期にはキリストが復活された週の初めの日、つまり毎週毎週日曜日の度にキリストの死と復活を覚えて礼拝を捧げていたのですが、2〜3世紀頃に通常の礼拝とは別に、ユダヤ教の過ぎ越し祭の頃に一年に一度、盛大に祝われるようになりました。ところが当時は日付がばらばらであったようで、325年のニカイア公会議で話し合い、春分後の最初の満月の次の日曜日をイースターとするということが定着していったようです。