2023年02月

神にある平和

ローマの信徒への手紙 5章1~11節 牧師 常廣澄子     4章では、アブラハムの生涯やダビデの言葉などを通して、神を信じるとはどういうことか、信仰の本質について学んできました。続くこの5章では、信仰によって救われて義とされた者の祝福と喜びについて語られています。「(1節)このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、」信仰によって義とされた者は「神との間に平和を得ている」というすばらしい約束です。平和(エイレーネー)という言葉は、あらゆる善と祝福を意味する言葉です。ユダヤ人は挨拶の時に「あなたに平和がありますように!」と言いますが、それは平和だけではなく、あらゆる善と祝福がありますように!という意味です。

朽ちない冠

コリントの信徒への手紙 一 9章19~27節 牧師 常廣澄子  私たちは今、コリントの信徒への手紙を読み進めていますが、パウロがキリストの福音を自由に語っている姿を見るとほんとうに感動します。パウロが各地を訪問して、あらゆる人たちにキリストの福音を語っているのは、彼の持っている大きな人類愛であったと思いますが、ある意味で、それは自分のような反逆児にさえも現れてくださった復活のイエスに対する感謝の現れです。そして同時に、そのイエスを遣わされた神に対する負い目でもあったのではないでしょうか。ローマの信徒への手紙の1章14節には「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」というように「果たすべき責任」とまで言っています。パウロはキリストの福音を語ることでの様々な苦労を、キリストの十字架の苦しみ、あるいは自分が迫害してきたクリスチャンたちの苦しみに重ねていたのかもしれませんし、何よりもその働きをすることを、神の御前にあって大変光栄なことだと感じていたのではないでしょうか。

悪霊追放

ルカによる福音書 9章37~45節 牧師 永田邦夫      本日は、二月第二週の主日礼拝となりました。本日も引き続いて、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。先ほどお読みいただいた箇所から「悪霊追放」と題しての説教です。その中心的な出来事は、“ある男の人に一人息子がいて、その息子が悪霊に取りつかれて苦しんでいるので、どうか見てやって欲しい、とのある男(父親)からの依頼に、イエスさまが応じられ、その子を癒して、父親にお返しになった”という出来事です。さらのその後に続いて、イエスさまによる、二回目の十字架予告の記事があり、これを含めての出来事が本日の説教箇所となっております。

聖なる者の祈り

ヨハネの黙示録 8章1~5節 牧師 常廣澄子        「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネは、今、御霊に感じて、霊の目に映し出されているものを見ています。そして天上の礼拝の様子を私たちに教えてくれています。その祝福に満ちた礼拝の様子は、地上で神への信仰の故に苦しんでいる者たちにとっては大きな慰めであり、忍耐や希望を与えるものでした。