2024年6月23日(主日)
主日礼拝
使徒言行録 7章17~43節
牧師 常廣澄子
お読みいただいた個所は、ステファノが語った長い説教の中の一部分です。前回は16節までを読んで、栄光の神についてお話ししました。アブラハムを導かれた神は、妬みによって奴隷として売られたヨセフの人生にも伴われ、遂にヨセフはエジプトの大臣となって、父ヤコブや兄弟たち、親族一同をエジプトに呼び寄せることになったわけです。そして17節にありますように、その後、イスラエルの民はどんどん増えて大きな民となり、エジプト中に広がっていきました。
本日は43節までお読みいただきましたが、ここでは、モーセの生涯を中心にして語られています。ステファノは、まず丁寧にモーセの生い立ちとその召命の物語を語っています。モーセは、ヨセフのことを知らない別の王がエジプトの支配者になった時に生まれました。「(19節)この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。(20節)このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三カ月の間、父の家で育てられ、(21節)その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。」このように書かれています。つまりモーセは、エジプトの王ファラオが、イスラエルの民がどんどん増え続けて大きな民族となって来たのを恐れて、生まれてきた男の赤ちゃんを殺すように命じた政策のために川に捨てられたのを、王女によって拾われたのです。
イエスもまた、この世に神の御子として生まれながらも、ヘロデ王がベツレヘムに生まれた二歳以下の男の子を殺すようにとの命令が出されたので、殺されるのを避けてエジプトに逃げなければなりませんでした。神の目に適った美しい幼子モーセも、神の御子イエスも、この世に生を受けた時から、生まれて来なければ良かったと言わぬばかりに、この世から邪魔者扱いにされたのです。この二人は大変良く似た境遇ではないでしょうか。
王女に拾われたモーセは、エジプトの王宮で何不自由ない王子として育てられ、当時のあらゆる教育を受けて教養ある人として育っていきました。「(22節)そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。」しかし、ある時、苦しむ同胞を見捨てることができずに行動を起こしたのです。ここは聖書本文とは少し違っていて、ステファノが受け取った内容で書かれています。
「(23節)四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。(24節)それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。(25節)モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。(26節)次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ。傷つけ合うのだ。』」
モーセはイスラエル民族の一人として、自分にできることを精一杯やろうとしたのです。しかし、それは全く惨めな結果に終わりました。イスラエル人は言いました。「(27節)すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。(28節)きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』(29節)モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そしてミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。」モーセはエジプトの宮殿から逃げ出さざるを得ませんでした。この出来事は、イエスがその生涯をかけて神の言葉を語り、救いの働きをしたにも関わらず、その心や行動を理解してもらえずに、ついにイスラエルの人々から「十字架につけろ、十字架につけろ」と排斥されて死んだことにも似ています。
また、モーセとイエスの共通点は、「(36節)不思議な業としるしを行った」ことです。モーセはエジプトの地や紅海で、また四十年の間、荒れ野で、数々の奇跡を行いました。イエスが行った奇跡については、ペトロがペンテコステの日にイスラエルの人々を前に語っています。2章22節に書かれています。「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。」死人の生き返りを始め、病気の癒しや水をぶどう酒に変えたり、その不思議な業やしるしは豊かすぎて数えきれません。
さらに、モーセとイエスの共通点は、モーセが神とイスラエル人、イエスが神と人間との間の仲保者であったということです。「(37節)このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』(38節) この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」
38節の「荒れ野の集会」と訳されている言葉エクレーシアは、普通は教会と訳されています。モーセは、まだ形の整っていない荒れ野の教会にいたのです。今ここエルサレムには、サンヘドリンの議員たちが誇っている立派な神殿や会堂があります。荒れ野の教会とは雲泥の差です。しかし、モーセはこの「荒れ野の集会」において、生きた御言葉を神からイスラエルの民に取り次ぐ働きをしていました。そこでモーセが神から受けた律法は、絢爛豪華なエルサレムの神殿の脇役のようなものではありませんでした。荒れ野を旅する人々に真の命を与える生きた御言葉だったのです。
それだけではありません。モーセは自分のように、神とイスラエルの民との間を仲介する預言者が出てくることを預言しているのです(申命記18章15節参照)。「(37節)神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。」モーセの後、次々と現れた預言者たちは、モーセの精神やその働きを受け継いで、ともすると形式的な儀式に満足してしまうイスラエルの人々に、生きた御言葉を語り続けました。モーセはそういう預言者たちの大祖先にあたります。使徒言行録3章24節に「預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げています。」とありますように、モーセを源とする歴代の預言者たちは、イエス・キリストという真の仲保者が到来することによってはじめて、神の御心が成就するのだという預言を語り続けてきたのです。
このように、ステファノが冒涜したと言われるモーセその人は、実はまさしくキリストのひな形でした。イエスは第二のモーセ、いいえ、モーセ以上のお方です。イエス御自身がこのように語られています。「(ヨハネによる福音書5章45節)わたしが父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。(46節)あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセはわたしについて書いているからである。」
ステファノがこの説教で協調しているのは、モーセに従わなかったイスラエルの民の罪深さです。モーセとイエスには、互いに共通点がありますから、モーセに対する不従順の罪を取り上げることは、同時にイエスに反発しているユダヤ教側の罪をも取り上げることにつながっているのです。
まず一つ目は、先ほどお読みしましたが、40歳のモーセが宮殿でイスラエル人を助け、救いの手を差し伸べようとした時のことです。モーセの心には同胞への愛があり、同じイスラエルの民として彼らが協力してくれると期待していました。ところがイスラエル人たちはこの期待を裏切ったのです。「(27節)すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。」突き飛ばすという言葉が示すように、イスラエル人たちの態度はモーセを排斥する行為だったのです。
次は、モーセが正式にリーダーとなってイスラエルの民をエジプトから導き出し、奇跡を行いながら旅を続け、生ける神を証して神の御言葉を取り次いでいた時に起きた事件です。「(38節)この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。(39節)けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、(40節)アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』(41節)彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。」これはシナイ山のふもとでイスラエルの民が金の子牛の像を造った事件です。
モーセが十戒をいただくために山に登っていった時、イスラエルの民はその四十日さえも神の導きを静かに待てなかったのです。自分たちの手で、早く安心できる神を造りたいとアロンに願ったのです。その心こそが、神を神とせずに生きようとする罪です。ステファノはこの出来事の中にある神への不信仰と不従順の心を語っているのです。
最後にステファノは、モーセと神に背いたイスラエルの民に対する神の罰について語ります。「(42節)そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。」神の怒りと罰は、神がイスラエルの民に背を向けられたことでした。イスラエルが神とモーセに背いたことによって、神はイスラエルに対して無関心となり冷淡になられたというのです。さらには「彼らが天の星を拝むままにしておかれた」とあり、これは偶像礼拝を指しています。イスラエルの民は 荒れ野をさまよっている時、しばしばその地域の神々を拝みました。それは神の怒りや罰を引き起こす原因であったわけですが、実は罰の結果でもあったのだと言っているのです。
ステファノはこの偶像礼拝の有様を、アモス書5章25-27節を引用して語っています。「(42節)それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ、お前たちは荒れ野にいた四十年の間、わたしにいけにえと供え物を 献げたことがあったか。(43節)お前たちは拝むために造った偶像、モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を 担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを バビロンのかなたへ移住させる。』
この引用は原文と少し違っていて、ダマスコがバビロンになっていたりしますが、要するに、イスラエルの民は荒れ野の旅の間、モーセの律法どおりに「いけにえと供え物」を献げてはいたが、心が伴っていないので、それは偶像への捧げものと大差なかったというのです。アモス自身が指摘しているように、アモス時代のイスラエル人は、祭りや集会やいけにえを捧げたりすることを形式的にやってはいるが、公道と正義という内面の心を欠いていたため、モレクの御輿やライファンの星という偶像礼拝と何ら変わりがないと言っているのです。ステファノは、アモス時代に起こっていたこのようなことが、今のユダヤ社会にも同じように存在している、栄光の神と生き生きと交わる信仰の神髄を忘れて、手で造ったものを崇めているようなものではないか、と暗に指摘しているのです。
しかし、民族と祖先に誇りを持っていたイスラエルの人々は、ステファノからこのようにイスラエルの民の神への不従順や偶像礼拝への厳しい言葉を聞いても、少しも反省することなく、逆に怒りに満たされて、ステファノをこの世から抹殺しようとしていくのです。
ところで、教会もまた、この世という荒れ野を旅する旅人の群れです。教会の現実は、エジプトからカナンへと旅をするイスラエルの民の歴史から学ぶことがたくさんあります。神に導かれていく教会となるためには、生ける神の御言葉に立って、その約束を信じて進むことによってこそ、その使命を果たすことができるのだと思います。教会は絶えず新しい出発をしています。新しい週も一人ひとりが新しい心で、主に導かれてそれぞれの旅路を歩んでいけますようにと心から願っております。
(牧師 常廣澄子)
聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©️1987, 1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による。