安息日のいやし

2024年8月4日(主日)
主日礼拝『 主の晩餐 』

ルカによる福音書 14章1~6節
牧師 永田邦夫

 本日は八月第一主日の礼拝です。この月も、主の御導きと、そして恵みを沢山いただきながら、皆さんと共に歩んでいきましょう。ところで、八月と言いますと我が国では、特に年配者にとっては、辛い経験や悲しい思い出が沢山ある月です。それは第二次世界大戦のことです。そして、今この時も世界には戦争や争いが続いています。どうか一日も早く、それらの戦争が終わりますようにと願うばかりです。

 早速本日の説教箇所に入っていきましょう。その箇所は、ルカによる福音書の14章1~6節で、主イエスが安息日に水腫の人をいやされた出来事です。ところで福音書には、主イエスによる病いのいやしの記事が沢山あります。それは、御国の福音と、人が病いから解放され、その苦しみから解放されることを、ほぼ同じ意味に捉えられていたからでしょう。
なお、ルカによる福音書には、主イエスが行われた病いのいやしについての記事が全部で十二も記されておりまして、本日箇所はその最後のいやしの記事です。

 最初の出来事は、主イエスがガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日に教えておられたときのことです。会堂に汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ、我々を滅ぼしに来たのか。」と叫んだ(ルカによる福音書4章31~34節参照)。「イエスが『黙れ、この人から出て行け』とお叱りになると悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出ていった。」(4章35節)とあり、さらにその結果として、主イエスのうわさは辺り一帯に広まった、というお馴染みの箇所でした。

 ところで、主イエスが行ったいやしの出来事の中から、ルドルフ・ブルトマン(1884~1976年:ドイツのプロテスタント神学者)は、主イエスが行った安息日のいやしの中の次の三つを「安息日のいやし三奏曲」と呼んだ、とのことです。
その三つとは、いずれもルカによる福音書の中からで、その①は6章6~11節(手の萎えた人をいやす)、その②は13章10~17節(安息日に、腰の曲がった婦人をいやす)、そして、その③が本日の説教箇所、14章1~6節(安息日に水腫の人をいやす)です。

 では本日箇所に入る前に、始めの二つ(その①と、その②)の出来事の内容を簡潔に確認しておきましょう。その①6章6~11節は、ある安息日に主イエスが会堂で教えていたときのこと、そこに右手が萎えている人がいた、とあります。右手は一般的に利き手ですから、その不自由さは格別だと思います。そして、そこには例のごとく律法学者やファリサイ派の人々がいて、訴える口実を見つけようとしていた、とあります。

 主イエスは、そのことを承知の上で、敢えて目立つように手の萎えた人を真ん中に立たせ、人々に注目させたうえで、「安息日のいやしについてどう思うか」とその可否を問うた後、その人に「手を伸ばしなさい」と命じ、いやしを行われたのです。するとその手は元どおりになった、と記されています。

 このいやしの出来事を見たとき、普通の人ならば拍手喝采で、喜びを共にするところですが、律法学者やファリサイ派の人々は怒り狂い、イエスを何とかしようと話し合った(11節)とあります。何とかしようとは、殺意まで抱くという意味です。

 律法学者やファリサイ派の人々の考え方、主義主張は、律法をしっかり守ることが第一であり、安息日とは仕事を休む日であって、たといそこに病気の人がいても、その人へのいやしの行為は労働に当たるので、それはだめと言います。人の命よりも律法を貫くことを優先するのが、彼らの生き方です。これは、神の御心に沿って生きるという考え方を履き違えているもので、本末転倒も甚だしいです。残念としか言いようがありません。

 次は、いやしの三奏曲と言われたその②(13章10~17節)からで、「安息日に、腰の曲がった婦人をいやす」との小見出しがついた箇所からです。
10~11節には「安息日にイエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。」とあります。

 そして次の12~13節には、「イエスはその女を見て呼び寄せ、『婦人よ、病気は治った』と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。」とあります。このように腰が曲がった人をいやされたのです。
十八年の間、腰が曲がったままで生きて来たその女性にとって、その十八年という年月は、人生の大半だったかもしれません。それが、主イエスによるいやしによって、楽しい人生へ大きく変わり、神を賛美しながら歩む人生へと変えられたのです。

 これを見ていた周りのすべての人が、共に喜びを表したかというと、さにあらず、次の14節には「ところが、会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。『働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。』」と、クレームをつけたのです。

 このときの会堂長は、人が長年抱えて来たその苦しみからの解放の出来事を、共に喜ぶのではなく、自分の主義主張だけを振りかざして、「安息日はいけない」と、腹を立てています。会堂長とは、会堂の管理をすべて任されていて、また安息日の礼拝の司式も行っていたそうです。また会堂長とは律法に精通している律法学者の一人かもしれません。しかし、人の命や病いのことは二の次にし、建前だけを重んじる、そんな様子をここに見ることができます。本当に残念としか言いようがありません。

 そしてもう一つ、主イエスのいやしに対しクレームをつけたいなら、直接イエスに向かって言えばよいのに、「群衆に言った」(14節)とあります。いかにも姑息です。
これに対する主イエスから会堂長への叱責と安息日の説明が、次の15~16節です。「しかし、主は彼に答えて言われた『偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年間もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。』」とあります。誠にその通りです。わたしたちもこの箇所から多くのことを教えられます。

 そしてこの段落の締めくくりが、「こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。」(17節)です。十八年間も病いの霊に取りつかれ、苦しみぬいてきたこの女性の喜びは如何ばかりであったか、その回復を皆で喜ぶのは当たり前のことです。これを想像するだけでわたしたちは胸が熱くなります。

 そしてさらに、教会は、伝道やその他のすべてのことを組織で決め、その決定に従って働いていますので、その方針決定に従うことは勿論大事ですが、その時々に最も大事なことを見失わないように、気を付けていなければならないことも思わされました。

 大変長くなりましたが、本日箇所の14章に入っていきましょう。その1節前半には「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りなったが、」とあります。これは、ある安息日の礼拝が終わった後のことで、主イエスはファリサイ派の議員の招きにより、昼食の席に移られたのです。
そのときの食事の席での出来事や教えが、この1節から始まり24節まで、数段落にわたって続いています。

 続く1節の後半には「人々はイエスの様子をうかがっていた。」とあります。ここに記されている人々とは、主イエスが食事のため入って来ている、ファリサイ派の議員の家の仲間たちかもしれません。主イエスの立ち居振る舞いを、注意深く見ていたであろうことが想像できます。

 そして2節へ移りますと「そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。」とあります。ここで「水腫」という病気について先に見ておきましょう。水腫は簡単に言いますとむくみのことですが、水腫は種々の原因(例えば、心臓病や腎臓病など)により、腹腔や組織などに水分がたまる病的な状態を言います。

 また水腫は、当時の律法学者たちの考えでは、不道徳なことをしたことによる神からの罰であるとされていたとのことで、何と厳しい考え方かと思わされました。
当時の人の知識や医学がまだ進んでいない時代のこと故に、仕方ないとも言えますが、しかし、病気に苦しみ、辛い思いを強いられていた人々にとりましては、「仕方ない」で片づけられるようなことではありません。

 次の3節に移りますと「そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。『安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。』とです。
これに対する彼ら(律法の専門家やファリサイ派の人々)の応答はなく、「彼らは黙っていた。」(4節)とあるだけです。これは驚きのことです。
今までの流れですと、主イエスが、安息日の病気のいやしなどをされますと、腹を立て、あるいは怒り狂うこともありましたが、ここでは「黙して語らず」です。

 4節全体に目を通していきましょう。「彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。」とあります。
直前の3節では、安息日に病気のいやしを行うことの可否を、ファリサイ派の人々や律法学者に問い、さらにその説明を加えるのでなく、直ちに病人の手を取り、その病気をいやしてお帰しになったことが、ここに記されています。

 わたしたちは、どうしても議論が先になりがちです。しかし、そこに今、苦しんでいる人がいたなら、先ずその苦しみを取り除いてあげることが大事であることを、再度知らされた思いです。

 ではここで、今まで進めてきました「安息日のいやし」についての三つの出来事について、その結末に注目しながら確認しておきましょう。

(1)「手の萎えた人のいやし」の場合には、それを見ていた彼らは、烈火のごとく怒り狂った(6章11節)とありました。この段階では、人々、特にファリサイ派の人々 や律法学者の考えが、「安息日のいやしは絶対にだめ」と最強に達していた段階でした。

(2)「腰の曲がった人のいやし」の場合には、いやされた本人は、神を賛美する人となり、更に群衆もこぞって喜びを表した(13章17節)とありました。この段落では、「この十八年間苦しみぬいてきたこの人も、アブラハムの娘なのに」との主イエスの言葉が決め台詞になったことでしょう。

(3)そして最後、本日箇所(14章1~6節)では、主イエスが手を尽くし、言葉を尽くして説明してこられたこともあってでしょう。「彼らは、これに対して答えることができなかった。」(6節)とあります。その決め台詞は、主イエスの「自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといってすぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」(14章5節)です。
彼らはこのとき主イエスの言葉を受け入れたのです。この言葉は、わたしたちの心にも強く響く言葉です。

 以上、この三つ、(1)から(3)のことをわたしたちはよく心に刻んでおきながら、これからもキリスト者として力強く歩んで参りましょう。

(牧師 永田邦夫)

聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©️1987, 1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による。