聖書

神から出たもの

使徒言行録 5章17~42節 牧師 常廣澄子         イエスが復活されて天に上げられた後、聖霊が降りました。その聖霊を受けた使徒たちは生き生きと力あるしるしや奇跡を行い、主を信じる者がどんどん増えていきました。そういう中で、前回お話したアナニアとサッピラ夫妻の事件が起こったわけですが、これは教会内部で始めて生じた罪と裁きの出来事であり、すべての人に非常な恐れが生じました。しかしこの事件によって、初代教会が主の霊に満ちたどれほど聖い集まりであったかがわかったのです。ですからこの事件は初代教会に対するつまづきどころか、神の前に正しく生きようとする人々に畏敬の念を覚えさせました。人々はソロモンの回廊に集まって集会を開いていた信徒たちを称賛していました。エルサレムだけでなく付近の町や村からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れてきたのですが、使徒たちの手によって一人残らずいやされました。初代教会や使徒たちが人々に与えた影響がいかに大きかったかがわかります。

神は平和の神

コリントの信徒への手紙 一 14章26~40節 牧師 常廣澄子   今朝もこうして皆さま

忠実で賢い管理人

ルカによる福音書 12章35~48節 牧師 永田邦夫     本日もルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。本日箇所の冒頭35節は「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。」と唐突に始まっています。それは、この箇所も前方の段落と関連あることを示していますので、始めに、そのことを確認しておきましょう。12章に入りますと、1節に「数えきれないほどの群衆が集まって来て」とありますことから、主イエスは大勢の群衆を前にしながら、弟子たちに対し「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。」との注意を促す言葉から始まっています。

天から響く歌

ヨハネの黙示録 14章1~5節 牧師 常廣澄子        13章では、天から地上に投げ落とされた竜が、凶暴な二匹の獣の姿になって荒れ狂う様を見てきました。この14章に入ると、ヨハネは一転して天上での新しく光り輝く礼拝の幻を見ています。その中央にいて、崇高な勝利の座についておられるのは、神の小羊、イエス・キリストです。そしてそれを取り囲んでいるたくさんの聖徒たちが讃美をもって礼拝しているのです。

多くの奇跡

使徒言行録 5章1~16節 牧師 常廣澄子           天に挙げられたイエスに代わって聖霊が降ったペンテコステの出来事の後、ペトロを中心とした弟子たちは力強く主イエスへの信仰を証しして、主の教会を形作っていきました。神殿においては、生まれながら足の不自由な男の人を立ち上がらせるという驚くべき奇跡がなされ、議員や長老や律法学者たちというユダヤの権力者たちの迫害にも屈せず、大胆に救いの言葉を語り続けた

互いに高めあう

コリントの信徒への手紙 一 14章1~25節 牧師 常廣澄子  この「コリントの信徒への手紙」では、コリント教会において実際に起こっていたいろいろな問題を聞いたパウロが一つひとつ丁寧に論じています。どういうことが論じられてきたのかは、今までに少しずつ語ってきました。12章ではパウロは様々な「霊的な賜物」について語りました。そしてそれらの賜物の間には何ら差別がないことが強調されていました。教会ではどのような人もどのような働きもすべて主にあって等しく大切なのです。続く13章では意義深い「愛の賛歌」を歌いあげています。そのパウロがここ14章にきて異言のことを語っています。しかも「愛を追い求めなさい」という書き出しで書き始めています。つまり今まで語ったことを受けて話しているのです。

天に宝を積む

ルカによる福音書 12章13~34節 牧師 永田邦夫     本日もルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。早速ですが冒頭13節は、「群衆の一人が言った。」との書き出しで、前の段落との繋がりを示していますので、そのことを先に見ておきましょう。

惑わされないように

ヨハネの黙示録 13章11~18節 牧師 常廣澄子      ご一緒にヨハネの黙示録を読み進めています。いつも同じことを言うようですが、ここに描かれているいろいろな場面や状況は何とも奇妙でなかなか理解できません。しかし何かしら感じる所があるのではないかと思います。七つの封印で封じられ、誰も開くことも見ることもできなかった巻物は、小羊イエスによって開かれていきました。そして、最後の第七の封印が解かれ、七人の天使が次々と吹き鳴らすラッパの音とともに明らかになって来たのは、神を離れた罪の心で生きる人間の有様、人間世界の不義の姿です。封印が解かれたということは、現実の有様をしっかり見させたということではないでしょうか。

熱心な祈り

使徒言行録 4章23~37節 牧師 常廣澄子         警察や裁判所と聞くと、皆さんはどんな思いを抱かれるでしょうか。私たちは何も特別悪いことをしたわけではありませんが、警察や裁判所というところにはあまり行きたくないのではないでしょうか。何の覚えもないのに、ある日突然無実の罪で捕らえられたり、何らかの嫌疑を受けて逮捕され、長期間にわたって拘留されてしまったという恐ろしい事件を耳にすると、どうしてそういうことが起きるのだろうと疑問を感じることがあります。人を陥れる何らかの謀り事がめぐらされたのではないかと思ってしまいます。人間社会ではいつの時代でもそういうことが起こり得ます。

悪しき力との戦い

ヨハネの黙示録 13章1~10節 牧師 常廣澄子        ヨハネの黙示録には、いったいどういうことをいっているのか想像できないような場面や、奇妙な怪物が出てきたりしますので、ただ漠然と読んでいても良くわかりません。けれども少しずつ考えながら読み進めていきますと、この書物は今私たちが生きている世界がたどってきた歴史や流れを生々しく映し出しているように思われます。そして今日の人間世界の有様を見抜き、その問題点を指摘しているようにも思われるのです。繰り返しくりかえし「耳ある者は聞くが良い。」とか「耳ある者は聞け。」と言われていますように、この文書を読む者は、しっかり耳を開いて聞きとる者とそうでなく聞き流す者、しっかり聞いて理解する者とそうでない者がはっきりしてくるのではないでしょうか。