ルカによる福音書

手の萎えた人のいやし

「ある日、イエスが教えておられるとき、長年、中風を患っていた人を、仲間内で床に乗せイエスさまの許に運んで来ましたが、家の中に入ることができず、屋根から吊り降ろして、イエスの前に辿り着いたのをイエスはご覧になって、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われたことで、一悶着(ひともんちゃく)はあったものの、更に、イエスさまの癒しと、励ましのお言葉によって、その中風の人が癒されたことに、人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた」と、5章17~26節にありました。

断食問答

ルカによる福音書からの説教を続けておりますが、本日箇所の5章33節に入りますと「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。』」と、唐突な入り方をしています。そして、その中心テーマは「断食」です。因みに直前の段落(前回の説教箇所)では、“罪人と共に食事をすること”が挙げられていました。すなわち、この両者共に食事を巡っての事柄です。さらに前後二つの段落の“流れ”から見ても、本日箇所は前の段落から続いている一つの大きな段落である、と言われています。さらにもう一つ、この大きな段落は、共観福音書すべてに共通している、“大きな問答集の中の一コマ”でもあります。

罪びとを招く主

本日の説教箇所は、主イエスさまが自ら出て行って、徴税人のレビを招いて弟子とされる出来事から始まっております。なお、この記事は共観福音書すべてにありまして、マタイによる福音書9章9~13節、そして、マルコによる福音書では2章13~17節にあります。ときにはこれらも参考にしながら、ルカによる福音書ならではの独特で、豊かなメッセージをご一緒に聞き取って参りましょう。

罪の赦し 病の癒し

ルカによる福音書からの説教が続いておりまして、本日の説教は、標題の通りですが、直前までの流れの大筋を確認しますと、ガリラヤ伝道たけなわの中で、主イエスはカファルナウムにおられたとき、さらに巡回宣教の拡大の抱負を語られました(4章43節)。そして、漁師のシモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネたちを弟子として招かれ(5章1節~11節)、さらに本日箇所の直前では、“重い皮膚病の人の癒し”(5章12節~16節)をされ、そして、本日箇所へと進んできました。

重い皮膚病の人の癒し

本日は、ルカによる福音書から標記の通り「重い皮膚病の人の癒し」と題しての説教です。主イエスは、カファルナウムにいたとき、「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」(本書4章43節)と、巡回宣教の抱負を語られました。さらに弟子選びと並行して、癒しの業を進めてこられました。その癒しの業も、より重い病気へ、より社会的意味合いの大きい病気へと進み、そして律法の決まりとも絡んで、やがてそこにファリサイ派の人々や律法学者が登場してきます。なお、イエスさまによる癒しのわざは、その癒しの業だけ単独にあるのではなく、あくまでも御国の福音伝道の一環としてなされてきたのです。

漁師を弟子にする

本日の説教題は、「漁師を弟子にする」で、どちらかと言いますと、イエスさまの視点での表題ですが、わたしたちの視点からは「漁師から弟子への転身」です。早速、聖書に目を通して参ります。1節「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」とあります。ここで“ゲネサレト”とはガリラヤ湖のことです。因みにこの名称は、ガリラヤ湖北西岸で、水が豊富で肥沃な土地の名前、ゲネサレトからとったものです。その湖畔にイエスさまが立っておられると、群衆が神の言葉を聞こうとして周りに押し寄せて来た、とあります。このときすでに、イエスさまの評判は人々に広く行きわたっていたのです。

シモンのしゅうとめの癒し

その出来事とは、先ずカファルナウムでの安息日の礼拝説教中に、イエスに向かって大声で叫ぶ、悪霊に取りつかれた男性の悪霊を追放された出来事に始まり、礼拝が終わって直ぐに、シモン・ペトロの家に場所を移し、高い熱に苦しんでいるシモンのしゅうとめの、高熱を追放された出来事があります。そしてさらに、日が暮れ、すなわち安息日が終わってから、そこに連れて来られた多くの病気の人をイエスさまが癒されました。そして日が明けた翌朝、イエスさまは、独り静かな場所に行って、それから先にわたる御国の福音伝道の抱負について、人々に語る場面へと続いております。以上が本日のメッセージの内容です。

教えと悪霊払い

ルカによる福音書からの福音のメッセージを、続けてご一緒に聞いております。現在は、イエスさまのガリラヤ伝道の初期に起こった出来事が中心となっておりまして、本日は、カファルナウムでの伝道からのメッセージです。  本日箇所冒頭、31節、32節には「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」とあります。この二節にわたる紹介の言葉は、イエスさまのカファルナウムに下ってからの伝道がすでに始まっていて、順調なスタートを見せている、そのような印象を受けます。  といいますのも、実はその前の場所、ご自分がお育ちになったナザレでの伝道は、実に辛い結果となってしまい、そのナザレを後にしての、カファルナウム行きだったのです。そこでの伝道が順調なスタートが切れたことは、ここを読むわたしたちにも、喜びと安堵感を届けてくれます。

イエスのガリラヤでの伝道開始

ルカによる福音書から、標記の通りの説教です。イエスさまがガリラヤで伝道を開始され、さらにナザレに来ての伝道の様子を伝えている箇所です。なお前回は、バプテスマ直後に“聖霊に満ちて”ヨルダン川から帰られた後、さらに荒野に行って“霊”によって悪魔からの試練を受けられた、その出来事からの説教でした。

イエスの荒野での誘惑

イエスのバプテスマの記事はルカ福音書には、わずか2節(3章21節22節)のみですので、罪のないイエスがなぜ、悔い改めのバプテスマをヨハネから受けられたのか、その経緯を、マタイ福音書3章13節~17節から確認しますと、イエスがヨハネの元に来られ、ヨハネにバプテスマを願い出られた、そのとき、「あなたがなぜわたしから」と、ヨハネはイエスのバプテスマを思い止まらせようとしました。しかしイエスはそれを振り切って、「今は止めないでほしい。正しいことはすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と告げ、ヨハネはこれに従ってイエスにバプテスマを施したのです。