多くの奇跡

2024年2月25日(主日)
主日礼拝

使徒言行録 5章1~16節
牧師 常廣澄子

 天に挙げられたイエスに代わって聖霊が降ったペンテコステの出来事の後、ペトロを中心とした弟子たちは力強く主イエスへの信仰を証しして、主の教会を形作っていきました。神殿においては、生まれながら足の不自由な男の人を立ち上がらせるという驚くべき奇跡がなされ、議員や長老や律法学者たちというユダヤの権力者たちの迫害にも屈せず、大胆に救いの言葉を語り続けたのです。

 主を信じる者の数はどんどん増えていきました。1章15節では「120人ほどの人々が一つになっていた」とありましたが、2章41節では「三千人ほどが仲間に加わった」とあり、4章4節では「男の数が五千人ほどになった」のです。そのように次々と主を信じる者が加えられて教会が成長していった時、最も悲しむ出来事、教会内部から罪の出来事が起きてしまいました。お読みした5章にそのことが書かれています。サタンは外から攻撃するのでなく、内部から人々を誘惑してきたのです。

「(1-2節)ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、 妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」アナニアとサフィラ夫妻のしたことを正しく理解するためには、前回もお話ししたことと重なりますが、初期の教会では、信徒たちが分け隔てなく共同生活をしていたことを理解する必要があります。

 3章32節「一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」これは自分の持ち物をどなたでもどうぞ自由に使ってよいですというように、「これは自分のものだ」という利己心がなかったということです。「すべてを共有していた」というのは、「私のものはあなたのもの、私のものはみんなのもの」という態度で生活していたということです。
3章34節「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。」という言い方は、文字通りの共有財産制度で生活していたのなら不自然な表現です。ここでは個人個人の自主性は尊重されていたのです。元気な者も病む者も、富んでいる者も貧しい者もいたでしょうが、貧しい者でも生活に事欠くようなことはなかったということです。信者になると財産を全部献金しなければならなかったというわけではなかったことは、5章4節のペトロの言葉「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。」が雄弁に語っています。

 3章32節から35節で使われているギリシア語の動詞は、連続して繰り返す行為を表す形です。ですから、信徒になった時に一度に全財産を捧げるのではなく、今は差し当たって自分の生活に必要でない資産を、教会に集まる信徒たちの状況や必要に応じて、その都度売ったりして、その時その時に応じて捧げるような生活をしていたということです。また、一切のお金は神と教会に捧げられ、神と教会の名によって必要な人々に使われたのです。ここには、何の規則も規約も強制もありませんでした。彼らのすべての行動の源は、ただ信仰による一致と愛と感謝だけでした。

 初期の信徒たちのこのような純粋で清らかな生活が背景にあったことがわかると、アナニアとサフィラ夫妻の行為は逆でした。「(5-6節)この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。」「(10節)すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。」等というすさまじい神の審判を受けたことが、少しは納得できると思います。ではこの二人はいったいどんな理由で裁かれたのでしょうか。

 第一にわかることは、代金をごまかした罪です。土地の代金がどのくらいで、そのうちのどれだけを自分たちのために取り分けたのかはわかりませんが、2節に「その一部を持って来て」とありますから、教会に捧げたものより、自分たちのためにとっておいた方が多かったのでしょう。ここには貪欲の罪がありました。さらに問題は、夫妻がこのことを「承知の上で」やったということです。9節でペトロが「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。」と指摘しているようにこの点は見過ごせません。彼らの罪は、その場の雰囲気でついふらふらとその気になってやってしまったというような出来心ではありませんでした。あらかじめ熟慮した結果の共同謀議なのです。

 特に妻のサフィラは、夫アナニアが計画通りに事を運んだことを見越してか、その後「三時間ほどたって」(7節)その場に現れたのですが、この時間帯に、もしかしたら自分たちの考えたことの重大さ、恐ろしさ、恥ずかしさを十分反省することができたはずです。それと、ペトロから「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」(8節)と問われた時には、もう一度、自分の心に問い、真実に沿って答えることもできたのではないでしょうか。しかしサフィラは堂々と「はい、その値段です。」と言ったのです。これらのことを考えると、二人は自信を持ってこの計画を実行したことがわかります。

 ここまでは誰でもこの場面を想像して、同じように感じられると思います。しかしこの夫妻は神を信じる信仰者であり、これは教会の中で起きたことです。ですから表面的なこと以上に厳しいものがあります。 アナニアとサフィラ夫妻は、その土地を売って献金するつもりでいたようですから、現金に換える前から彼らの持ち物である土地は神に捧げられたものだと考えられます。彼らがしたことは、ただ土地の代金の一部を全額だと言って嘘をついたというよりも、いったん神に捧げたものを着服した罪だとも言えるのではないでしょうか。ヨシュア記の中には、神がイスラエルの民に、エリコを攻め落とした時にすべてを焼いて主に捧げよと命じられたにも関わらず、アカンはこっそり金や銀、美しい晴れ着の類を着服してしまいました。アカンの罪はその後皆の前で明るみに出され、その一族全員が殺され、イスラエルの前進のために戒めとなった出来事がありましたが(ヨシュア記7章参照)、同じ様な出来事ではなかったでしょうか。

 彼らが犯した罪は、ペトロが4節で語っているように、「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」という信仰的な罪です。彼らが信仰を持ち、神に資産を捧げたいという願いが起きなければこのような罪を犯すことはありませんでした。ある意味では彼らはそれだけの良い実を結びつつあったのです。しかし、サタンは人間のそのような良い心にまでも入り込んで誘惑するのです。

 私たちはペトロの言葉、「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」をただ上辺だけで聞いていてはなりません。人々の中には「アナニア夫妻は土地を売っても売らなくてもよかったのだ。彼らはただ金額を偽った点で罪を犯してしまったのだ。もし彼らが正直にこれは土地代金の一部ですと言えば罪はなかったのに、、。」と考える人もいます。本当にそうなのでしょうか。

 確かに当時の教会は、強制的な共有財産制度はとっていませんでした。土地や資産を売る義務もありませんでした。だとしたらアナニア夫妻は土地を売らずに残しておこうと思ったでしょうか。売った後でも自由でいられたでしょうか。彼らにとっては、自分たちの土地をいったん神に捧げたいという気持ちを抱いた時から、それは売らずに残しておくことができないもの、売ってからも自由にならない「神のもの」になっていたのではないでしょうか。

 それと、土地という財産を捧げても良いと考えたほどに生活にゆとりがあった彼らにとっては、決心を翻して、それを捧げないでいることができたでしょうか。初代の教会内で、みんなが互いに助け合い、貧しい者がいないように心砕いている中にあって、しかもバルナバまでもが畑を売って献金したほどの教会の状況の中で、平気な顔をしていられたでしょうか。確かにアナニア夫妻がしたことは、ある面で善意だったと思います。彼らの本当の罪、裁きに遭うほどの罪というのは、皆が今、心と思いを一つにして主の業に励んでいる時に、彼ら夫妻の心は信じる者たちの心とは全く別の方向を向いていたということにあるのではないでしょうか。つまり自分たちに与えられている物を神との関係で考えることをしなかったのです。神を信じる者として、新しい命と心に生きていなかった罪なのです。

「(5節)この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。」「(11節)教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」初代教会内で起きたこの出来事を読むと、現代に生きる私たちもまた大きな恐れを覚えます。私たちはこの御言葉を通して、教会の歩みに対して威儀を正さなくてはならないと思います。考え方の違い、賜物の違いによって、私たちの教会生活も信徒の交わりも、その形やあり方は様々に変わりますが、少なくとも、主イエスの復活を力強く証しする教会の中で、よみがえりの命に生きる心と思いを一つにしようとする努力を怠ってはならないと思います。信じた者の群れは、神への思いを一つにして進んでいけるように、絶えず祈りつつ生きるべきなのです。

 アナニアとサフィラ夫妻のこのような恐るべき出来事を通して、教会が神の臨在を感じ、その本来の姿勢を取りもどしていった時、13節にあるように、教会は民衆から多大な称賛を受けるようになってきました。教会が自ら襟を正そうとして神の聖さに与っていくならば、人々はその聖さに心打たれるのです。神からの正しい裁きは、人々に躓きを与えるのではなく、畏敬の念を呼び起こし、尊敬する心を抱かせたのです。

「(12節)使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。」「(14節)そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」人々は使徒たちの手による多くのしるしと不思議な業によって神の力を認めただけでなく、実際にその教えを信じて仲間に加わっていったのです。そして大事なことは、使徒たちによるこれらのしるしは、4章30節で「どうか御手を伸ばし、僕イエスの名によって病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」と祈った祈りの成就だということを忘れてはなりません。教会は神への祈りなしには何事も起こりえないし、成すこともできません。すべては神への祈りから始まるのです。

「(16節)また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。」エルサレムだけでなく、付近の町や村から集まってきた病人たちは一人残らず癒されましたから、民衆は使徒たちを尊敬しました。そして人々の使徒たちに対する尊敬は、次第に迷信のようにまでなってしまいました。ペトロの影が病人を癒すとさえ信じられたのです。「(15節)人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。」ここを読むと、教会やその指導者たちがどれほど一般の人々に畏敬の念を与えたかがわかります。

 ここで「(13節)ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。」とありながら、「(14節)そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」とあるのは、何か矛盾するように思われるかもしれませんが、13節の「ほかの者」というのは、ユダヤ人の長老や指導者たちを指している言葉です。

「(12節)一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていた。」既に信者の数は何千人にもなっています。そんなに大勢の信者では個人の家には入りきれません。彼らはエルサレム神殿の「ソロモンの回廊」を集会の場所にしていたのです。神殿で行われる大集会はきっと民衆の目を奪い、心をひきつけたことでしょう。民衆は信徒の集会を遠巻きに眺めながら、これは何と素晴らしい偉大な集団だろうと認めあい、またそれらの信者たちを尊敬していたのです。

 キリスト教会は真の神を信じるほんとうの宗教だと言われ、クリスチャンは世に遣わされた神の民だと言われます。しかしそれが具体的な形や姿で表されなければ、世の人々は地上に神の国が来ていることがわかりませんし気づくことさえできません。「一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていた」とあるように、皆が喜びと感謝に満ちて、一つ心で集まること、それこそがクリスチャンが真に神の国の民であることの証明になるのではないでしょうか。へブライ人への手紙10章25節にも、励まし合って集会を守り続けることが勧められています。今の時代は確かに、人間が神を信じる方向から遠く離れていて、人々をキリストへと導くのは至難の業ですが、それは聖霊のなされることです。私たちにできることは、ひたすら神を見上げて喜びと感謝の礼拝を守り、正しく教会生活を守っていくことではないでしょうか。

(牧師 常廣澄子)