ヨハネの黙示録 13章1~10節 牧師 常廣澄子 ヨハネの黙示録には、いったいどういうことをいっているのか想像できないような場面や、奇妙な怪物が出てきたりしますので、ただ漠然と読んでいても良くわかりません。けれども少しずつ考えながら読み進めていきますと、この書物は今私たちが生きている世界がたどってきた歴史や流れを生々しく映し出しているように思われます。そして今日の人間世界の有様を見抜き、その問題点を指摘しているようにも思われるのです。繰り返しくりかえし「耳ある者は聞くが良い。」とか「耳ある者は聞け。」と言われていますように、この文書を読む者は、しっかり耳を開いて聞きとる者とそうでなく聞き流す者、しっかり聞いて理解する者とそうでない者がはっきりしてくるのではないでしょうか。
聖書
ヨハネの黙示録
悪しき力との戦い
ルカによる福音書
聖霊の助け
ルカによる福音書 12章1~12節 牧師 永田邦夫 2024年の年頭から能登地方を震源とする巨大地震があり、また世界で続いています戦争も未だ止むことを知らず、本当に厳しい年の幕開けとなりました。斯様な中でわたしたちに出来ることは、「この世界が、そして日本が、神のみ旨に沿って歩み、少しでも良くなっていくように」と祈り続けることです。
コリントの信徒への手紙一
愛は滅びない
コリントの信徒への手紙 一 12章31節~13章13節 牧師 常廣澄子 皆さま、新年明けましておめでとうございます。 元日から、能登半島の大きな地震や飛行機の事故などがあり、今年はいったいどんな一年になるのだろうかと希望よりも不安の方が大きくなるような2024年のスタートとなりましたが、今私たちは主にあって新しい年を迎えることができました。まずそのことを感謝したいと思います。そして、厳しい世界情勢、社会状況の中ではありますが、本年も主の御言葉に支えられ、導かれて歩んでまいりたいと願っております。
使徒言行録
救いを与える名
使徒言行録 4章1~22節 牧師 常廣澄子 2023年最後の礼拝となりました。この一年を感謝しながら、今朝も聖書から私たちの命の糧である御言葉をいただきたいと思います。 前回は3章のところをお読みしました。神殿に詣でたペトロとヨハネが、生まれながら足の不自由な男の人を立たせて歩かせたという驚くべき出来事に驚いて、大勢の人々が弟子たちのいた「ソロモンの回廊」と呼ばれる所に集まって来たので、ペトロは神の御業について熱く語った場面でした。イエスが十字架に架けられた時には、「イエスなど知らない」と逃げ惑っていたペトロでしたが、この時は、大勢の人を前にして見違えるように堂々と語りました。
マタイによる福音書
輝く星に導かれて
マタイによる福音書 2章1~12節 牧師 常廣澄子 本来なら先にクリスマス・イブがあって、その後でクリスマスになるのですが、今年はクリスマス礼拝の後でクリスマス・イブ礼拝ということになりました。今朝の礼拝で既にクリスマスの恵みに与り、感謝と喜びで満たされていると思いますが、引き続いてこのイブ礼拝でも、神の御子イエスの誕生に起きた出来事をたどりながら、神の素晴らしい恵みに感謝したいと思います。
ルカによる福音書
すべての民の大きな喜び
ルカによる福音書 2章8~20節 牧師 常廣澄子 皆さん、クリスマスおめでとうございます。厳しい社会状況の中ですが、今年もこのように、ご一緒にクリスマス礼拝をお捧げできますことを心から感謝いたします。 日本も例外ではありませんが、今、世界情勢は誠に危機的なところに置かれています。世界の各地で戦争や争いが止まず、連日、尊い命が奪われています。日々報道されるこれらの悲惨なニュースに私たちの心は痛み、悲しみとやり場のない怒りで満ちています。そのような中で迎える今年のクリスマスです。世界中の人達にとって、今まで以上に平和を願い、神の救いを願う気持ちが強くなっているように思います。神の御子がこの世にお生まれになったというこのクリスマスの出来事は、二千年前に、神がこの人間社会に介入されたという、驚くべき出来事ですが、神の御子は今、この時にも私たちのところに来ておられること、神にある平和はここにあるのだということを御言葉から聞いていきたいと思います。
ルカによる福音書
神は内側も造られた
ルカによる福音書 11章37~54節 牧師 永田邦夫 待降節の第三週の主日礼拝を迎えまして、アドベント・クランツにはローソクが三本灯され、明るさも増しております。この灯は「世の光」として来られたイエス・キリストの象徴でもあります。本日の説教箇所の初めの37節が、「イエスはこのように話しておられたとき」と始まっていて、この段落は直前の「体のともし火は目」の箇所とも内容的に関連があることが分かります。それを先に見ていきましょう。
旧約聖書
感謝と喜びを持って生きる
詩編 100編1~5節 牧師 常廣澄子 アドベント(待降節)のろうそくが2本灯りました。今私たちは、主の御降誕を待つ喜びの日々を過ごしています。そして本日は「賛美による礼拝」をお捧げしています。有志の皆さまによって「マリヤより生まれたもう」が賛美され、サキソフォーン演奏によって「さやかに星はきらめき」が賛美されました。ありがとうございました。心から感謝いたします。心が高められていく気がします。礼拝堂に賛美の声が満ち溢れ、楽器の音色が賛美の曲を奏でるのを聞いていると、この礼拝はまさに天での礼拝につながっているのだと感じます。
マルコによる福音書
神の国は近づいた
マルコによる福音書 1章14~20節 牧師 常廣澄子 今の世界情勢や人間社会の有様を見ますと、本日の説教題は間違いではないのかと思われるかもしれません。心が痛むような悲惨な出来事が多いこの頃です。神の国が近づくどころか、ますます遠ざかっているように感じられても仕方がないと思います。しかし、この御言葉でイエスは確かに「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と語っておられるのです。
使徒言行録
ペトロの説教
使徒言行録 3章11~26節 牧師 常廣澄子 前回はペトロとヨハネが午後3時の祈りに神殿に上って行った時のことをお話ししました。ペトロは、神殿の「美しい門」の所で施しを乞うていた、生まれながら足の不自由な男を見て、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言って彼の右手をとって立ち上がらせたのです。癒された男は躍り上がって立って歩きだし、神を賛美しながら二人と一緒に神殿に入っていきました。そしてその後も弟子たちに付きまとっていました。