テサロニケの信徒への手紙一

光の子として生きる

主の再臨がすぐにも起こるのではないかと思っていたテサロニケの人たちに対して、パウロが答えています。主の日がいつ来るのか、その時期は誰にもわからない、しかし主の日は確実にやってくる、しかも、盗人が夜、突然やって来るように、また妊婦に産みの苦しみが来るように起こるのだと。そして不安がる人々にパウロは語るのです。(4節)「しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。」と。何か矛盾しているようですが、パウロがここで言いたいことは、あなたがた主を信じる者は、いつも主が共におられる、だからいつ主の再臨があっても大丈夫、ということなのです。イエスが来られることを特別なお客さんが来られるように思わなくても良い、いつもの通りでいなさい、ということです。なぜなら主を信じる者にはいつもイエスが伴っておられるからです。

主と共なる人生

私たちは死をどのように捉えているでしょうか。ここではパウロが死んでいった人たちのことについて語っています。(13節)「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。」当時のテサロニケの信徒たちは、イエスの再臨は極めて近いと信じていて、その日を迎えることに大きな希望を抱いていました。ところが、イエスが来るのを待たずに死んでいく人が出始めたものですから、彼らはイエスの祝福と救いの完成に与かることができないのではないだろうかといった心配や、彼らのことを憐れんだり、悲しんだりする人が現われたのです。

聖なる生活

このテサロニケの信徒への手紙一は、パウロが一番最初に書いた手紙で、紀元50年頃にコリントで書かれたと言われています。パウロがテサロニケに伝道したのは、第二回伝道旅行の時でした。テサロニケの信徒への手紙には、テサロニケの信徒たちの信仰を喜びつつ、その置かれている状況を気遣うパウロの慰めと励ましの心が感じられます。