聖書

婚宴に招かれる人

イエスがこのたとえを語られたのは、過越祭が始まろうとしているエルサレムの神殿の境内です。ローマ帝国に支配されていたユダヤの人たちは、毎年この時期になると愛国心が高まり、独立への希望が燃え上がっていました。その期待は、ロバに乗ってエルサレムに入場したイエスに向けられていましたが、みんながそれを喜んでいたわけではなかったのです。群衆の期待が高まれば高まるほど、ユダヤ教の指導者である祭司長や律法学者たちは、嫉妬と妬みでいらだち、怒りを感じて、イエスを殺そうとしていたのです。一方では歓喜の喜びがあり、その陰には殺意が潜んでいる状況の中で、イエスはこのたとえ話をなさったのです。分かる人には分かるけれども、ある意味では一種の謎のようなものですから、深い意味が分からない人もいたと思います。

来るべき方

本日も、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。本日箇所の冒頭、18節から19節bには「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。」とあります。ここでのヨハネとは、勿論、バプテスマのヨハネのことです。そして“これらすべてのこと” とは、直接には7章に入ってから、本日箇所の直前までに示されております、二つの出来事であり、またさらに、それより前の箇所に記されている、数々の出来事をも含んでいることが、これから先を読み進めていきますと分かります。

主の業を守り続けよ

今朝は七つの教会の一つ、ティアティラにある教会に宛てた手紙を通して、神の言葉を聞いていきたいと思います。「(18節)ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。」ティアティラという地名を聞いて、皆さんはすぐに使徒言行録16章11〜15節に書かれていることを思い浮かべられたのではないでしょうか。そこにはパウロが聖霊に導かれてマケドニア州のフィリピに行った時のことが書かれています。そこでパウロが主の福音を語っていた時、集まった人たちの中に、ティアティラ市出身の紫布を商うリディアという女性がいたのです。当時紫布を扱うのは上流階級の人であったと言われています。彼女は神を崇め、一家をあげてバプテスマを受けて信仰に入りました。そして神に仕えてフィリピの教会建設に大きな力となったのです。このリディアの出身地であるティアティラがこの手紙の舞台です。

天に属する者に

先週、私たちは主イエスの復活をお祝いするイースター礼拝をお捧げしました。十字架につけられたイエスは、死んで墓に葬られましたが、安息日が終わって急いでかけつけた女性たちが見たのは空っぽの墓でした。墓の中にイエスの遺体はなかったのです。天使が告げたように、イエスは復活されたからです。復活はイエスが死に勝利したしるしです。そして、いまイエスは、信じる者と共に生きておられるのです。人がこの世を生きていくということは、荒海に漕ぎだしている小舟のようなものですから、悩みや苦しみやいろいろな問題が起こります。しかし、キリスト・イエスの救いを信じる者には、いつもどんな時も、死の谷を通る時も、主なる神が共にいてくださるという約束があるのです。なんと感謝なことでしょうか。

あの方は墓にはおられない

神の御子イエス様は、この世で真の人として生きられ、病気の人々を癒し、貧しく弱く虐げられている人々に寄り添い、神の国の教えを語られました。そのイエスを亡き者にしたいという思いを抱いていたのは、当時、神殿体制を批判されて苦々しく思っていた祭司長や律法学者たちでした。そして、ただそのことのためだけに真夜中にユダヤの議会が招集され、夜が明けるとすぐにイエスを処刑するために、ローマ総督ピラトのもとに連れていったのです。そこで、ピラトは彼らに扇動された民衆の声に押されて、十字架にかける決断を下しました。

ナインの若者の蘇生

本日の説教は、夫に先立たれ寡婦となったナインに住む女性が、追討ちをかけられるように、いま一人息子が死に、悲しみと孤独のどん底に突き落とされている葬送の途中、主イエスさまがこれに出会われ、その息子を蘇生させる、という出来ごとがメッセージの中心です。

白い小石を与えよう

ペルガモンという地は、以前お話ししたスミルナの北方にある町の名前です。今までお話ししてきたエフェソやスミルナの方がこのペルガモンよりもずっと大きいですし、商業都市として交通も便利だったようですが、このペルガモンはローマ帝国が統治していた当時、アジア州の首都であったと言われています。ペルガモンには歴代皇帝を礼拝する神殿が数多く作られていたと言われ、政治と文化の中心地だったのです。皇帝礼拝だけではなく、いろいろな神々を祭る神殿がたくさんあり、そこでいろいろな祭儀が行われていたようです。特に有名なのがアスクレピオスという神の神殿です。これは蛇をその神の使いとして象徴していて、病気を治してくれることで有名な神であったようです。きっと毎日多勢の人々が訪れていたのでしょう。

良き管理者

パウロがコリントにある教会の信徒に向けて書いた手紙を読んでいますが、このコリント教会はいろいろな問題を抱えていたようです。アテネやコリントなどギリシアの諸都市にはアゴラという広場があり、人々はそこに集まってきて哲学やいろいろな知識を語り合い、互いに意見を戦わせていました。人々は学問や知識があることを誇りにしていましたし、学閥というのでしょうか、そういう学問をする人たちの間にはある種の派閥や党派があったようで、それが教会の中にまで入り込んできたのです。キリストへの信仰に導き入れられた後でもなお、そのような習性が現れてきてパウロを悩ましていたようです。3章でお読みしたように、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」といったようにグループができて、それぞれ党派心に燃え嫉妬や紛争となって教会を乱していたのです。

福音の力

ローマの信徒への手紙 1章14〜17節 ローマの信徒への手紙は16章まであり、様々な内容が含まれていますが、今朝お読みした個所は、ローマの信徒への手紙全体の内容を凝縮してまとめたものであるとも言えると思います

百人隊長の信仰

ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。7章1節に「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。」とあります。このカファルナウムは、イエスさまが故郷ナザレから場所を移し、そこで数々の説教をされた場所です。さらにその後イエスさまは、山に行き十二使徒選びをし、続いて、“平地に下りての説教”がありました。「幸いと不幸」、「愛敵の教え」、「人を裁くな」等々でした。