コリント教会では「私はパウロにつく、私はアポロに、私はケファに。」という争いがありましたが、それもまたこの問題に関わることです。パウロから見れば「私はパウロにつく、私はアポロにつく」と言っていること自体が、自分を目立たせようとし、自分を正当化しようとしていることに過ぎない、そういう党派心もまた自分を偉く見せようとしていることだというのです。そのリーダーが自分と親しい者だと言っていることだからです。ですから3章18節でパウロは「あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。」と勧めています。言い換えれば、自分が正当な一人前の人間だと思っている人は、一人前の人間になるために愚かな者になりなさい、ということです。パウロは人間の評価や判断よりも神の思いを大事にしていました。それで4章の始めで、私を裁くお方は主である、人間を義とされるのは主なる神だけだ、ということを語っているのです。