使徒言行録

ペトロの説教

使徒言行録 3章11~26節 牧師 常廣澄子         前回はペトロとヨハネが午後3時の祈りに神殿に上って行った時のことをお話ししました。ペトロは、神殿の「美しい門」の所で施しを乞うていた、生まれながら足の不自由な男を見て、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言って彼の右手をとって立ち上がらせたのです。癒された男は躍り上がって立って歩きだし、神を賛美しながら二人と一緒に神殿に入っていきました。そしてその後も弟子たちに付きまとっていました。

キリストの名によって歩け

使徒言行録 3章1~10節 牧師 常廣澄子           初代教会の信徒たちがどのような信仰生活をしていたかが、2章の後半に書かれていましたが、43節にあるように、使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていましたので、人々には「恐れ」が生じていました。また、毎日心を一つにして神殿に参り、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から「好意」も寄せられていました。今朝お読みしたところには、その初期の頃に起こった一つの出来事が詳しく語られています。

ひたすら心を合わせて

使徒言行録 2章37~47節 牧師 常廣澄子         前回は主の御霊を受けたペトロが、堂々と説教するのを聞いてまいりました。ペトロが語った説教は、人間は罪深い者だから神を信じなさいというような一般的なことではなく、一つの明確な告知でした。ペトロはまず、今目の前で起きている聖霊降臨の現象を、これはヨエルが預言していたことの成就なのだと説明しました。そして、ナザレのイエスは、数々の力ある業や奇跡やしるしによって、御自身が神から遣わされた者、つまりメシアであるということを繰り返し示したにもかかわらず、人々はイエスを十字架につけて殺してしまったということ。しかし神はこのイエスをよみがえらせたのだということを伝えました。そして詩編16編を引用して、このことについてはダビデも予見していたことであったと語り、詩編110編の御言葉を通して、今やイエスは神の右の座に高くあげられたのだと語ったのです。

イエスは神が遣わされた方

使徒言行録 2章14~36節 牧師 常廣澄子         5月のペンテコステ(聖霊降臨)礼拝では、2章の前半部分の御言葉から聞いてまいりました。聖霊が降った時、その場は本当に前代未聞の騒然とした状況だったのです。その驚くべき出来事に遭遇した人々の中には、自分の国の言葉で神の御業が話されているのを聞いて、感動した人達もいたでしょうが、逆に言葉のわからない人達や、真の神を信じようとしない人達は「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と嘲り、ののしるような人達もいたのです。そういういろんな人達を相手に堂々と語ったのがペトロでした。今朝はペトロが弟子達を代表して語った長い演説から聞いていきたいと思います。これはキリスト教最初の説教とも言うことができると思います。

神の偉大な業

使徒言行録 2章1~13節 牧師 常廣澄子           本日はペンテコステ(聖霊降臨)を感謝する礼拝です。一般的に、このペンテコステ(聖霊降臨)は教会の誕生にあたると言われていますが、それは歴史的、年代記的な意味ではなく、信じる者の集まりである教会というものの成り立ちの根本的な意味で言われているのです。聖霊降臨という言葉だけを聞いていますと、なんだか大変古めかしい神話のように思われるかもしれませんが、使徒言行録の聖霊降臨の出来事には、今の私たち人間世界にとって、大変素晴らしい神の恵みが語られています。この出来事が今の私たちにどのような事を語っているのか、見ていきたいと思います。

主イエスを信じなさい

使徒言行録 16章25~34節 パウロは大きくまとめて三回の伝道旅行をしました。今の時代に旅行といえば、誰にとっても気分がリフレッシュされる楽しい時ですが、パウロの時代の旅行、しかもイエスの福音を宣べ伝えながらの旅行は決して楽しく楽なものではなかったと思います。今のように便利な交通手段はありませんし、宿泊場所にしても食べ物にしても、どんなに大変で困難な旅だったことでしょうか。また各地を巡りながらの伝道旅行は、パウロが語るキリストの福音を受け入れ、信じて救われる人が起こされる場合もあれば、逆に福音に反対してパウロたちを迫害する人たちもいました。

話は夜中まで

聖書にはいろいろなことが書いてありますが、居眠りをして3階の窓から落ちて死んでしまった人のことが書かれているのはここだけです。彼の名前はエウティコ(口語訳ではユテコ)。まるで女の子のように可愛い名前ですから、一度聞いたらきっと忘れられないと思います。彼はパウロの説教を聞いているうちに眠くなってしまい、三階の窓にもたれかかってぐっすり眠ってしまったようです。こっくりこっくり舟をこいでいて、とうとうそこから下に落ちてしまったというのです。

主の霊が降る

「聖霊降臨節」(ペンテコステ)と呼ばれる特別のお祝いの日です。ペンテコステというのは五十日目という意味のギリシア語で、過越祭から五十日目に当たる収穫感謝を祝う祭り(五旬祭)だったからです。そしてそれは過越祭、仮庵祭と並ぶ三つの重要な祭りの一つでした。ただ過越祭、仮庵祭が一週間続くのに対して、五旬祭はたった一日の祭りでした。今朝はその五旬祭の日に起きた聖霊降臨の出来事をみ言葉から聞いていきたいと思います。

わたしの霊をすべての人に

本日は聖霊降臨の記念日、ペンテコステ礼拝です。クリスマスというイエス・キリストの降誕を祝う行事は世界中の人々に知られていますが、ペンテコステはほとんどの人が知らないでいます。考えてみますとこれは非常におかしいことです。父なる神がお遣わしになった「もう一人の助け主」であられる聖霊が降臨されたことは、少なくとも教会にとっては、救い主イエス・キリストがこの世に誕生されたことに匹敵するほどの大きな出来事だからです。

天を仰いで生きる

ここには、二千年前、目に見える人間の姿をとって生きておられた神の御子イエス様が、地上での働きをすべて終えられて、ペトロたち弟子の目の前で天の父のもとに帰って行かれた時の様子が書かれています。ある意味で、これは新約聖書の中で最も大切な記事かもしれません。(9節)「 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」雲は神のご臨在を表わす時に用いられます。イエス様は神に迎えられ、神の栄光の中で地上から去って行かれたのです。