ルカによる福音書

少女の蘇生

ルカによる福音書 8章40節~56節 牧師 永田邦夫     本日もまた、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒にお聞きして参りましょう。その箇所は、司会者によってお読みいただいた箇所からです。なお、本日箇所は三つ続いている、主イエスさまがなされた奇跡の出来事の最後の段落からです。なお、その奇跡の全体をより深くご理解いただくために、その前後にある記事のことも念頭に置いたうえで、そのメッセージを聞き取っていくと、より幅広くなると思っております。

レギオンからの解放

ルカによる福音書 8章26節~36節 本日の礼拝は、平和礼拝です。今年は第二次世界大戦の終戦(敗戦)から77年を迎えました。さらに先の8月6日は広島の、そして9日は長崎の原爆記念日でした。これらの記念日は、世界平和を祈り

種まきのたとえ

ルカによる福音書 8章1節~15節 本日も、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。その箇所は、8章1節から15節です。「早速、本日箇所に入りましょう」と言いたいところですが、この福音書では、主イエスさまは、その伝道において大きな転換期を迎えようとしておりますので、そのことを先に確認したうえで、本日箇所に入っていきたいと存じます。

来るべき方

本日も、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。本日箇所の冒頭、18節から19節bには「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。」とあります。ここでのヨハネとは、勿論、バプテスマのヨハネのことです。そして“これらすべてのこと” とは、直接には7章に入ってから、本日箇所の直前までに示されております、二つの出来事であり、またさらに、それより前の箇所に記されている、数々の出来事をも含んでいることが、これから先を読み進めていきますと分かります。

ナインの若者の蘇生

本日の説教は、夫に先立たれ寡婦となったナインに住む女性が、追討ちをかけられるように、いま一人息子が死に、悲しみと孤独のどん底に突き落とされている葬送の途中、主イエスさまがこれに出会われ、その息子を蘇生させる、という出来ごとがメッセージの中心です。

百人隊長の信仰

ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。7章1節に「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。」とあります。このカファルナウムは、イエスさまが故郷ナザレから場所を移し、そこで数々の説教をされた場所です。さらにその後イエスさまは、山に行き十二使徒選びをし、続いて、“平地に下りての説教”がありました。「幸いと不幸」、「愛敵の教え」、「人を裁くな」等々でした。

人を裁くな

ルカによる福音書からのメッセージが続いておりますが、本日箇所は、6章37節から42節までです。先に、本日箇所に至るまでの流れを簡単に確認してから、本日箇所に入りましょう。イエスさまは、十二使徒選びの後、平地に下り、本格的な伝道に入られましたが、集まって来た、大勢の弟子たちを見て、「あなたがたは」と、親しく呼びかけながら「幸い」とされる人々、「不幸」とされる人々について教えられました。すなわち、「今貧しい人々、今飢え渇いている人々、今泣いている人々、あなたがたは、人の子すなわち、このわたしを信じ、従うゆえに、今は苦しんでいるかも知れない、しかし、天では大きな報いがあり、御国に招かれ、そこに、あなたたちの居場所が用意されている。そのため、あなたがたは『幸い』である。」逆に、「今富んでいる人、満腹している人、笑っている人は、先の人々のように、やがて受けるであろう幸いを、すでに受けてしまっている、だから、あなたがたは『不幸である。』」と言われたのでした。

敵を愛しなさい

冒頭は「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく」と始まりますが、この文脈は、“とは言うけれど”、という意味合いで、前の段落を受けつつも、一旦それを保留しながら、本日箇所の教えに入ろうとしています。ではここで、勧めの言葉を伝えようとしている「あなたがた」とは誰のことでしょうか。それは、主イエスさまが、開口一番、目を上げ語りかけた弟子たちであり、今は貧しくされ、また、飢えを覚えている人々、そして悲しみの中に置かれている人々のことです。しかし、「あなたがたは『幸い』だ、なぜなら、あなたがたが『その日』、すなわち御国に招かれるとき、また、この世においても、神のご支配の中に招かれるとき、幸いな者とされる。」という祝福の言葉をいただいている人々のことです。

平和の道に導く方

今夜お読みいただいた聖書個所は、マリアの賛歌に続いて「ザカリアの賛歌」と言われているところです。これは「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を」という言葉で始まります。この最初の言葉「ほめたたえよ」という言葉がラテン語でベネディクトゥスと言いますので、このザカリアの賛歌は「ベネディクトゥス」という題で歌われるようになりました。

幸いと不幸

前回(11月14日)の説教箇所の大筋は、「主イエスさまが山に行き、徹夜の祈りをした後、朝になって弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒とされた後、一同は山を下り、平らのところにお立ちになった。」のでした。その流れで、本日の説教箇所へ入っています。また、本日箇所を含めまして、6章全体は、マタイ福音書(5~7章)の「山上の教え」に準え、“平地の教え”と呼ばれております。