ローマの信徒への手紙

すべての民のための福音

ローマ書からの説教もいよいよ15章に入って参りました。そして、キリスト者の実践生活について、12章からずっと学び、そのメッセージをご一緒に聞いて参りましたが、15章はその締めくくりでもあります。なお、この個所は、1節から13節までが一つの段落ですので、そこからメッセージを聞いて参りましょう。

互いの受容

この個所は、信仰共同体、すなわち教会員同志の信仰生活についてのお勧めです。それは15章13節まで続いております。ローマ書の著者パウロは未だ訪問したことのないローマの教会の人々に対して、これ程までに具体的かつ踏み込んだ内容の勧めの言葉を書き送っている、それは教会すなわち、信仰共同体の信仰生活において、最も重要な事柄であり、また基本的な事柄だからです。 そして、もう一つのことは、パウロが今まで行ってきました、異邦人伝道の中で、“否というほど”経験してきたこととも直接関係しているのです。例えば、第一コリント書8章や、10章には、“偶像に供えた肉を食べることについての問題”が、また、コロサイ書2章16節以下には、“食べ物、飲み物、さらには、特定の日を巡る問題”についてのことが記されております。

隣人愛

二年余り続いておりますローマ書からの説教、現在は「実践生活についての教え」である、12章以降に入っておりまして、本日は13章8節からです。何時ものように、直近の前の部分を確認しながら、先へと進みたいと思います。12章では、この世における実践生活、そのものが“霊的礼拝”、また“理に適った礼拝”である。それは、すでに主イエスさまが、ご自身の十字架の贖いによって、わたしたちを生かしていてくださいますからです。よってわたしたちは、日々“霊的礼拝としての実生活”を送っていくことができます。その礼拝たる実生活においては、「愛に偽りがあってはならない」、「兄弟愛をもって互いに愛し合うように」、との勧めをいただくのです。

神が定めた支配者への従順

2020年度が始まりましてから、会堂での礼拝は本日が二回目となります。会堂の前方講壇の横には、年間主題「主にあって日々新たに」と、聖句「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る」が掲げられておりますが、先週、礼拝が始まる前に、これを執筆してくださったかたが感慨深そうに、この貼り紙を眺めていたのが印象的でした。 わたしたちは、どんな困難な時も、この主題および聖句が示すように、主に望みを置きつつ、日々新たにされて、この苦難から立ち上がり、鷲のように翼を張って立ち上がることができますように、と願っております。

霊に燃え、主に仕える

信仰によって義とされた者としての、わたしたちの日々の生活そのものが“わたしたちのなすべき礼拝である”、“理に適った礼拝である”といわれます。それは、前回説教箇所、ローマ書12章1~8節に示されておりました。これは、キリスト者の実践生活の基本姿勢です。これを受けて、本日箇所、9~21節では、具体的な教えについて、十項目(十二項目ともされる)が記されておりまして、これを名付けて、「愛についての十戒」、ないしは“十二戒”と言われています。先ず初めにそれを見て参りましょう。

新しい生活

イースターが過ぎましたこの時期も、わたしたちはコロナウイルスの感染予防のために、家庭礼拝を余儀なくされています。どうか皆さまの上に主の豊かなお守りと祝福がありますようにお祈りいたします。 ローマ書からの「恵みのみ言葉」も、12章に入って参りました。この12章から15章までは、キリストの福音を信じて受け入れた者が、キリスト者として日々どのように生きて行ったらよいか、いわば実践的な生活のことが記されています。そしてここに至る前の部分(12章より以前)は、教え、すなわち教理の部分です。わたしたちは聖書に聞き、そしてこれを信じて受け入れ、日々の生活で、これを生かしながら生きて行く、これが信仰生活です。ですから「教理」と「実践」は切っても切れない関係にあるのです。

すべての人への憐れみ

ローマの信徒への手紙の9章~11章は、“全人類の救い”を大きなテーマにしておりまして、11章25-26節「すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。」はその結論に当たります。 そして、神に先に選ばれたイスラエル、および異邦人が、御子イエス・キリストを通して与えられた福音に、どのように応えてきたか、また一方、神はその両者すなわち、イスラエルと異邦人をどのように救いへと導いて来られたか、これが全体の内容です。 では結論に至るまでの全体の要点を先に確認しておきましょう。9章の冒頭で著者パウロは、心の内にある同胞イスラエルの現状を思い、心の痛みを吐露しつつも、偉大な神への賛美で始まり、そして、11章の最後も神賛美で終わっています。要するに“全人類の救い”は人々には計り知れない神の大きな計画の中にあって、恵みと憐れみに満ちた出来事なのです。では要点を見ていきます。

イスラエルの残りの者

ローマ書9章~11章は、いわば“全人類の救い”を大きなテーマとして進められており、その11章に入った1節で、直前の段落までの“異邦人がイスラエルより先に神の義を得ている”と記されていることなどを踏まえつつ、「では尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか」と、問いを発し、その直後に「決してそうではない」と否定しておりますが、それは、詩編94篇14節の、「神は御自分の民を決しておろそかになさらず、御自分の嗣業を見捨てることはなさいません。」に基づき、「神は、前もって知っておられた御自分の民を決して退けたりなさいませんでした。」と、神の普遍的な愛を示しております。続いて2節後半では、「エリヤについて聖書は何と書いてあるかを知らないのですか」と、列王記上17章から19章に記されている、いわゆる“エリヤ物語”の中で、神がエリヤに示されて大きな恵みと、愛のことを喚起させようとしております。

聴いて宣べ伝える人

ローマ書9章~11章は、“全人類の救い”(または“万人の救い”)と言われる個所です。しかしその背景には、いわゆる“イスラエル問題”がその中に大きなウエイトを占めております。先に神に選ばれ、多くの恵と約束をいただいたはずのイスラエルが、なぜ、いまもイエス・キリストの福音を拒み続けているのか、これがイスラエル問題です。そしてこのイスラエルが、イエス・キリストの福音を信じて受け入れて初めて、全人類の救いが達成するのです。また、一方わたくしたちにとってイスラエルとは誰でしょうか、そして今どんな状況に置かれている人でしょうか、このことも考えながら本日の聖書箇所へと進みます。

主の名を呼び求める者の救い

この聖書箇所がわたしたちに伝える福音のメッセージは、大きくは、9章から11章の“全人類の救い”についてであり、さらに詳しくは、直前4節「キリストは律法の終わりになられた」、すなわち、「律法に終止符を打たれた」(原語のギリシア語の解釈)を受けて、律法による義と、信仰による義を別の角度から比較しつつ、さらにわたしたちが、イエス・キリストを救い主として信じる、“信仰による義”(ローマ書の中心的テーマ)へと至る道筋を示しております。そしてそこにはユダヤ人、ギリシア人の区別はなく、主を信じ、主の名を呼び求める者すべてが救われる、と告げております。