聖書

神の力によって

神は人間の知恵ではなく、世の人々が軽蔑するような福音の宣教という愚かな手段によって、信じる者を救われるのだということを学びました。それが神の知恵なのだということです。私たちが福音を聞いて信じたのは、私たちがこの世の他の人々より頭が良かったり、優れていたからではありません。つまり信仰は人間の知恵によるのではないということです。また知恵だけでなく、家柄や身分や学歴とかそういったものが他の人に勝っていたというわけでもありません。神が私たちを愛して救いを与えてくださるという福音の言葉を聞いて、ただ素直にそれを信じたことによるのです。

平和の道に導く方

今夜お読みいただいた聖書個所は、マリアの賛歌に続いて「ザカリアの賛歌」と言われているところです。これは「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を」という言葉で始まります。この最初の言葉「ほめたたえよ」という言葉がラテン語でベネディクトゥスと言いますので、このザカリアの賛歌は「ベネディクトゥス」という題で歌われるようになりました。

喜びにあふれる旅

クリスマスおめでとうございます。アドベントクランツのろうそくが4本灯り、本日は神の御子イエス・キリストの誕生を祝う喜びの礼拝です。日本を含む地球の北半球ではクリスマスは冬の寒い季節にあたりますが、この季節は冬至に近くて夜の闇の時間が長いですので、光にあふれたクリスマスは何か明るく暖かいものが感じられます。実際、神が人間世界においでになったという到底考えられないくらい驚くべき出来事、感謝してもしきれないほどの素晴らしい出来事なのです。

幸いと不幸

前回(11月14日)の説教箇所の大筋は、「主イエスさまが山に行き、徹夜の祈りをした後、朝になって弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒とされた後、一同は山を下り、平らのところにお立ちになった。」のでした。その流れで、本日の説教箇所へ入っています。また、本日箇所を含めまして、6章全体は、マタイ福音書(5~7章)の「山上の教え」に準え、“平地の教え”と呼ばれております。

死に至るまで

黙示録といいますと、何か終末の恐ろしい有様が書かれたものを想像するかもしれませんが、1章1節には「イエス・キリストの黙示」と書いてあります。黙示というのは「啓示」とも訳され、隠されているものの覆いが取り除かれて現わにされることです。黙示録に書かれていることは、「(1:1)キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」「(1:2)ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。」とあるように、イエス・キリストについて解き明かしている書物なのです。

十字架の言葉

本日お読みした個所の前の17節には、「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。」とパウロの心構えが記されています。キリストがパウロを遣わしたのは、福音を宣べ伝えさせるためであり、その宣べ伝え方は「言葉の知恵」にはよらないのだと語っています。

話は夜中まで

聖書にはいろいろなことが書いてありますが、居眠りをして3階の窓から落ちて死んでしまった人のことが書かれているのはここだけです。彼の名前はエウティコ(口語訳ではユテコ)。まるで女の子のように可愛い名前ですから、一度聞いたらきっと忘れられないと思います。彼はパウロの説教を聞いているうちに眠くなってしまい、三階の窓にもたれかかってぐっすり眠ってしまったようです。こっくりこっくり舟をこいでいて、とうとうそこから下に落ちてしまったというのです。

十二使徒の選びと癒し

ルカ福音書は、本日箇所の冒頭の12節に、「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。」とあります。なお、本日箇所の「十二使徒選び」は、5章から6章にかけて、ファリサイ派の人々を中心に始まった、“断食論争”に続く“安息日論争”の後を受け、緊迫した状況の中での十二使徒選びであり、またそれは“伝道の足場固め”でもありました。

主の慈しみに依り頼む

今朝は詩編のみ言葉から聞いてまいりたいと思います。この詩編143篇は、7つある悔い改めの詩編の最後のものです。いま、この詩人は敵の攻撃によって苦しみの中にいます。その苦境にあって、このような状態から救い出してくださるお方は神以外にはおられないと、ひたすら神の助けを祈り求めているという内容の詩です。

神の真実

「コリントの信徒への手紙」は、パウロがコリントにある教会に宛てて書いたものです。このコリント教会は、パウロが第二回伝道旅行の時にこの地を訪れ、約一年半程滞在した時につくった教会です(使徒言行録18章参照)。パウロはその後エフェソに移りましたが、そこへコリントからやって来たクロエの家の人たちから、コリント教会の中で争いがあると聞いたものですから(1章11-12節参照)驚いて早速この手紙を書いているのです。パウロはコリントを去ってからも、この教会のことを思って祈り、心を砕いて関わっているのです。