新約聖書

実のならない木

ルカによる福音書 13章1〜9節 近年、地球規模で気象が大きく変化していて、自然災害が多くなりました。地震や津波や大雨の被害等で多くの方が大変な被害を受け、苦しんでおられます。今は新型コロナウイルスという疫病

神のために働く誇り

この14節では、「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」とあります。この節は、先ずパウロが、宛先のローマ教会の人々に対して、親愛の情を込め、コミュニケケーションを図りながら、手紙の纏めに入ろうとしている様子を読み取ることができます。因みにこの節は、原文で「わたしの兄弟たち、わたしはあなたがたについて、次のことを確信しています。」となっています。しかも、“わたしの兄弟たち”という言葉は、ローマ書ではここにしか出てこない言葉です。 ではどのように、ローマ教会の兄弟姉妹たちを信じ切っているのか、を見て参りましょう。

愛の勝利

主の日の礼拝は神の国の雛型であると言われています。教団讃美歌191番(新生讃美歌339番)の歌詞には、「世に残る民、去りし民と、共に交わり、神を仰ぎ、永久の安きを待ち望みて、君の来ますをせつに祈る」とあります。この歌詞のように、主の日の礼拝はここに集っている私たちと、先に召された方々とがいっしょに捧げている礼拝なのです。今、この時、天上では、神に仕えている天使たちと先に天に帰られた方々の賛美が満ちていると思います。

神の僕として

私たちはこの礼拝に集い、イエスを信じる信仰に生きていますが、私たちがこの地上に生きている限り、家庭や職場や学校など具体的な生活の場において、さまざまな社会問題と関わらざるを得ません。そういうことは政治的領域と言っても良いかもしれません。日本の国に生きていれば、この国の政治に無関心でいるわけにはいかないのです。しかし、信仰的な話題と違って、政治に関しては個人個人の立場や考え方が異なります。教会と国家の問題は大変大切で避けて通れないものですが、その扱いは注意深くあらねばならないと思っています。

すべての民のための福音

ローマ書からの説教もいよいよ15章に入って参りました。そして、キリスト者の実践生活について、12章からずっと学び、そのメッセージをご一緒に聞いて参りましたが、15章はその締めくくりでもあります。なお、この個所は、1節から13節までが一つの段落ですので、そこからメッセージを聞いて参りましょう。

生きた石

ペトロの手紙2章のみ言葉から、神の教えを聞いていきましょう。まず1節は、「だから」という接続語で始まっています。これは1章23節「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」を受けています。神を信じる者は新しく生まれたのだから、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去りなさい」と言っているのです。神を信じるとは、神の家族の中に子どもとして生を受けたということですから、神の愛の中に生かされています。ですから神の愛に裏付けされる隣人愛や兄弟愛に反するような思いを捨てさるのは当然のことです。キリスト者として成長するためにはまず悪いものを捨てなくてはなりません。

十人のおとめ

お読みいただいたところには、イエスが語られた譬え話が書かれています。その始まりは(1節)「そこで、天の国は次のようにたとえられる。」という言葉です。「天の国」というのは、日本語では死んでから行く天国のようなところを連想しますが、ここではそういう意味はありません。マタイによる福音書は、しばしば「神」の代わりに「天」という言葉を使っているのです。それはどうしてかと言いますと、マタイによる福音書はどちらかというとユダヤ人が読むことを想定して書かれているからです。ユダヤ人は神を畏れ、「神」という言葉を直接口にすることをはばかり、また直接書くことも避けていましたので、「神」の代わりに「天」という言葉を使っているのです。

エフェソの信徒への手紙

平和の福音

1945年に日本がポツダム宣言を受諾して戦争が終わってから。今年で75年が過ぎました。考えてみますと、20世紀という時代は、人間の歴史の中でも最も知識や技術が進歩した素晴らしい時代であるにもかかわらず、1914年オーストリアに始まった第一次世界大戦、1939年にドイツのポーランド侵攻によって始まった第二次世界大戦と、世界各国の人間同士が敵味方に分かれて殺し合った恐ろしい殺戮の世紀でもありました。様々な利権をめぐって国々が争いを繰り返し、数えきれない多くの人々がその犠牲となったのです。日本バプテスト女性連合が沖縄での地上戦が終結した6月23日を「命どう宝の日」(命こそ大切な宝)として覚えるのも、二度と戦争をしないという非戦を誓い、平和を祈り願っているからです。しかし、世界の各地では今なお国と国、民族と民族が争いを続けていますし、今も過去の戦争の後遺症を引きずって苦しんでおられる方がたくさんおられます。生きている人間誰もが平和な世の中を望んでいると思うのですが、どうして人間社会には争いが続くのでしょうか。

互いの受容

この個所は、信仰共同体、すなわち教会員同志の信仰生活についてのお勧めです。それは15章13節まで続いております。ローマ書の著者パウロは未だ訪問したことのないローマの教会の人々に対して、これ程までに具体的かつ踏み込んだ内容の勧めの言葉を書き送っている、それは教会すなわち、信仰共同体の信仰生活において、最も重要な事柄であり、また基本的な事柄だからです。 そして、もう一つのことは、パウロが今まで行ってきました、異邦人伝道の中で、“否というほど”経験してきたこととも直接関係しているのです。例えば、第一コリント書8章や、10章には、“偶像に供えた肉を食べることについての問題”が、また、コロサイ書2章16節以下には、“食べ物、飲み物、さらには、特定の日を巡る問題”についてのことが記されております。

神を畏れる生活

今、私たちの第一の関心事は新型コロナウイルスのことではないでしょうか。誰もがどこに潜んでいるのかわからない、目に見えない小さなウイルスを怖がっています。確かにそれは恐れなくてはならないものですが、今朝は信仰者が畏れるべきものは他にあることをペトロの手紙から聞いていきたいと思います。それは「神を畏れる」ということです。